「Tice Principle In Excellence」

昨日、今日と TPIE(Tice Principle In Excellence)のプログラムを受講した。

TPIEとは、大人向けのセルフコーチングプログラムだ。

セルフコーチングについて、ルー・タイスが動画を通じて体系的に指導してくれるというものだ。

全21ユニットからなる内容を、二日間にわたって学んでゆく。

長い間タイミングを逃していたのだが、念願叶ってようやく受講することができた。

個人的には、これ以上ないベストのタイミングでの受講だったと感じている。

 

ファシリテーターは、信頼できるコーチ仲間の上杉絵里香さんだった。

絵里香さんの人柄が反映された、暖かく優しい空間で、参加者の方はリラックスして深い学びが得られたようだ。

みなさんたいへん満足度が高かったように思える。

私もこの二日間で成長できたとの手応えが得られたし、自分もゆくゆくはファシリテーターとして活躍したいというゴールも得られた。

非常に有意義な場であったと思われる。

コーチングを学びたい方にとっては、文句なく推薦できるプログラムだ。

ルー・タイスに会うという経験をされてみてはいかがだろうか。

 

TPIEの公式ページ

http://www.tpijapan.co.jp/

 

リバティーコーチング株式会社主催のTPIE紹介ページ

http://tpie.libertycoaching.jp/

「再録:はやくたくさんの文章を書くコツ」

私は2015年の9月から、無料のメルマガを配信している。

 

メルマガ「REenのメールマガジン」

 

その中では、コーチングを理解するためのさまざまな記事を書いてきた。

古い記事は、最近になってメルマガに登録された方は読めない状態だ。

「読みたい」という声をよくいただく。

そこで「再録」シリーズとして、加筆修正した古い記事をこちらのブログに少しづつ掲載することにした。

役立てていただけると幸いだ。

今回は「はやくたくさんの文章を書くコツ」という話題だ。

 

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先日、どうしてそんなにたくさん文章を書けるのですか、という質問をいただきました。

確かに、わたしはブログ、Facebook、メルマガ、ツイッター、ブログ記事の寄稿といった情報発信に加えて、それ以外にも趣味で文章を書いたりしています。

この執筆量は我ながらなかなかのものだと思います。

どうしてたくさん書けるのかというと、それはたくさん書いてきて慣れたからだとしか言いようがないのですが、それでは身も蓋もないので、ひとつヒントをお伝えしたいと思います。

それは「概念のゲシュタルト(かたまり)を持つ」

ということです。

これだけではわからないと思いますので、どういうことか説明しましょう。

たとえば、コーチングには「ドリームキラー」という概念があります。

このドリームキラーに関する話題を、ひとまとまりのゲシュタルト(かたまり)として認識するのです。

言葉で表現してみると、「ドリームキラーとは、ゴールを設定すると自分の周りに登場する、ゴールを批判したり、邪魔したりする存在である。彼らはあなたがゴールを設定したせいで自分たちのコンフォートゾーンが乱されたと感じ、元の状態を取り戻すためにそのような行動をとる。彼らに対する一番の対策は、そもそもゴールを言わないことであり、万が一行った場合は徹底的に無視するか、論理的に反論をすべきである。なお、自分の中で現れる、ゴールへ向けてコンフォートゾーンを移行していくことへの抵抗感も広義にはドリームキラーといえる、、、」といったところでしょうか。

いまわたしは、この説明を一呼吸で書きました。

これはわたしの頭の中にはドリームキラーという概念のかたまりがあり、その中に具体的内容が書き込まれているからです。

そのかたまりを、文章を書くときに、必要な場所へそのままバコンとはめ込む、そのような作業をいくつもやっているから、はやくたくさん書くことができます。

そんなことできないよ、と思われるかもしれません。

これは普段からの習慣で身につけることができます。

ふだん、読書などの情報収集をする際には、まず抽象度の高い重要な概念を選び出し、そのゲシュタルト(かたまり)を形作るように頭の中に入れていくのです。

たとえるなら、パソコンのフォルダーのようなものを脳内に作り、それに情報を入れ込んでいくといった感じでしょうか。

そうすると、たとえばドリームキラーなどのフォルダーができるので、あとは文章の中で必要なときにそのまま記述する、といった感じです。

ポイントは、インプットの際に整理をしながら頭に入れるということです。

参考にしていただけると嬉しいです。

「自己評価」

自己評価とは、自分で自分のことを評価することである。

文字通り、単純に理解すればいい。

「自分で」自分のことを評価するのである。

それなのに、多くの人は、わざわざ低く見積もってしまう。

おそらくそれは、他者からの不当に低い評価を受け入れ、自己評価の判断材料にしてしまったからであろう。

過去はそうかもしれないが、いまからそうする必要は一切ない。

癖が出来上がっているのなら、直せばいい。

いまからでもすぐに、自己評価を高めていけばいい。

ここで紹介する記事を書いたのは、2015年7月だった。

私はそのときと比べて、自己評価が相当高くなったと感じる。

自分のゴールの達成能力に対する自己評価(self-efficacy)も、自分の価値に対する自己評価(self-esteem)も相当高くなった。

それは、これまでの間、自分の評価を高めるマインドの使い方にひたすら取り組んできたからだ。

毎日毎日コツコツと、高い自己評価を作り上げていくのだ。

もちろん、これからももっと高めていく。

なので、この記事を読んでいるあなたも、私と一緒に自分の自己評価を高めていってほしい。

それができるのが当然だ。

私とあなたは何の違いもない一人の人間で、共に未来を創っていく仲間であると考えているからだ。

 

自分に自信が持てない人のための処方箋(基礎編)

「批判」

批判が批判として有効に機能するには、いくつか条件があると思われる。

 

一つ目は、徹底して論理的に導き出された主張による批判だということ。

二つ目は、その批判を解決するための対案を持つこと。

三つ目は、その対案に基づき、批判者がなんらかの現実的な行動を起こしていること。

 

批判のあるべき姿は、以上三つを満たしたものであるというのが現時点での私の見解だ。

もしこれらが満たされていなかったとしたら、それは批判ではなく、単なる愚痴、暴論、当てこすり、空理空論などになってしまう。

いかに頭が回る人であっても、これらを常に満たすような形で批判を展開している人は少ないように思われる。

 

そういう批判(のようなもの)に出くわした時には、上記の三つが満たされているのかをチェックしてみるといいのではないだろうか。

冷静にそういう観察をしていると、批判者が置かれている立場、批判者の中にある情動記憶(emotional memory)、批判者の持つ信念(belief)などが推察されてくる。

そして、なぜその人がそのような批判足り得ない発言をするに至ったのか、といったことまでもがなんとなく見えるようになる。

だからといって、そういった部分を追求し相手をやり込める必要はない(もちろんそうしたほうがいい場合には遠慮なくすればいいが)。

ここで言いたいのは、そのような批判者自身がスコトーマ(scotoma)になっている認識を踏まえ、どのように認識してもらうかを想定した議論に持っていくのが、私たちが取るべき立場ではなかろうかということだ。

これはなかなか難しく、技術のいる話である。

また、これは、パーソナルコーチングにも深いところでつながってくる話であると考えている。

とにかく、本記事では批判というものに対するスケッチ程度の分析なので、これ以上深入りはしない。

最後にルー・タイスの言葉を紹介しておこう。

 

Don’t change Them, Change You.

(人々を変えるのではなく、自分を変えましょう)

「たこ焼き」

昨晩、コーチ仲間と、新しくご縁をいただいた先輩コーチと三人でたこ焼きを食べにいった。

たこ焼きという庶民的な食べ物にはおよそ似つかわしくない、スケールの大きな話ができた。

今回ご紹介いただいた先輩コーチも、私のまったく知らないような知識や経験をお持ちで、そういったお話を聞いているのがとても楽しかった。

また、その方がどのような思いで活動をされているのかについて伺うことも、大きな刺激をいただくことができた。

聞いていて楽しくなれる話は、本当にいいものだ。

 

村上春樹の短編小説集の冒頭に、以下のような記述がある。

 

『・・・正直に言って、僕は自分の話をするよりは他人の話を聞く方がずっと好きである。それに加えて、僕には他人の話の中に面白みを見出す才能があるのではないかという気がすることがある。・・・このような能力ーー他人の話を面白く聞ける能力ーー・・・』(回転木馬のデッドヒート9p)

 

私は昔からこの部分の描写が好きで、なんだか他人事のように思えなかった。

もちろん、セミナーをやったり、場を活発にするために意見を求められたり、相手から説明を求められたりすれば、それには問題なく答えられるようにする準備はある。

それどころか、そういったベクトルでのコミュニケーションの能力をもっともっと高めたいという野心さえ持っている。

しかしながら、本質的には、他人の話を聞くことの方が私にとっては自然なことであり、気兼ねなく楽しめることのような気がする。

そして、その反作用としてなのかどうかはわからないが、「聞く」とは真逆の「書く」という行為もまた好きである。

わがことながら、不思議なものだ。

「社会人」

最近は、人と積極的に関わることをテーマにあげている。

新しい出会いがたくさんあるし、これまでの関係が深まることも多い。

いずれにしても、私よりもひと世代上の人と関わることが多い。

いわば、社会人としての先輩方だ。

そういった人の話を聞いていると、それぞれがたくさんの経験を積まれてきているのだなと素直に尊敬できることが多い。

経験にまさる知識はないと言うが、実際の仕事の現場の中で積み上げてきた先輩方の知識や技術には、とても力強いものを感じる。

 

私はそういった多くの人たちと比べてみると、極めて特殊な生活をしていたのだな、と感じる。

20代はほとんど浮世離れした生活を送っていた。

これではいかんということで、社会との関わりを少しずつ作るようになっていった。

そして、ようやく社会人になったかなと思えたのは本当にここ数年のことである。

社会とは人の集合であり、仕事とは社会のためになるなんらかの役割のことである。

もちろん、私の過去にそういったものがなかったかといえばそんなことはない。

しかし、とりわけ20代に関しては、積極的な社会との関わり、効果的な仕事の積み上げ方をしていたとは言い難い。

 

では、私は何も積み上げなかったのだろうか。

そんなことはない。

確かに、具体的、実践的な知に関する蓄積はほとんどなかった気がする。

あったとしても、それぞれの業界の部分的な、あるいは瑣末な知識だけだ。

しかし、私は考えることが好きで、本が好きで、そして「考えることそのものについて考えること」が、何より好きだった。

そこでは、社会との関わりの中で要請される具体的、実践的な形での知とは違う「知」が醸成された。

ある尊敬する人に言われた、いまでも自分を鼓舞する言葉がある。

その人は私を称して「思考力が極めて優れている」と言った。

私は、社会とは少し距離を取りながら、思考する力をひたすら研磨し続けてきたのだと思う。

そういう蓄積をしてきた自分のことは誇りに思っているし、思考という本質的な力は何よりの武器になると考えている。

その武器を下敷きにしながら、先輩方の積み上げてきた「社会との関わり方」に触れていくことがいま何より楽しいと感じる。

「再録:強制現状破壊ワーク」

私は2015年の9月から、無料のメルマガを配信している。

 

メルマガ「REenのメールマガジン」

 

その中では、コーチングを理解するためのさまざまな記事を書いてきた。

古い記事は、最近になってメルマガに登録された方は読めない状態だ。

「読みたい」という声をよくいただく。

そこで「再録」シリーズとして、加筆修正した古い記事をこちらのブログに少しづつ掲載することにした。

役立てていただけると幸いだ。

今回は「実践、強制現状破壊ワーク」という記事だ。

 

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今回は、速読についてです。

私は読書が好きで、けっこうな量を読んでいる方だと思います。

その数は、月に200冊を超えることもあります。

どうやったらそんなふうに読めるようになるのですか、と言われることがあります。

これには、いろいろな説明の仕方があるものの、一言で言ってしまえば「慣れ」の問題です。

慣れてしまえば人間はけっこうなことができるようになってしまうものです。

ということで、本を早く読めるようにするためのワークを紹介したいと思います。

1:本を10冊用意する

2:1時間のタイマーを用意する

3:時間内に読む

これだけです。

1時間でそんなに読むなんて無理だ、と思われたのではないでしょうか。

もちろん、いままでの読み方であればそうかもしれません。

しかし、このワークでは、1時間という時間設定がまず先にあり、その中で10冊読むためにはどのような読み方をすればいいのかを考えて実行するのです。

つまり、いままでの読み方を強制的に捨て去るというワークなのです。

おそらく文字を1文字1文字読み、頭の中で音読していたら絶対に無理でしょう。

慌ただしくページをめくり、ページをザザッと「見ていく」ような読書になるでしょう。

ここでは、意味を十分に理解できたかどうかは問題にしなくてけっこうです。

とにかく読み、とにかく見る、それを1時間以内に10冊やる。

これを強制的にこなすことで、劇的に感覚が変わります。

おそらく終わったあとは、いままで味わったことのないような、頭がくらくらした感覚を覚えることになります。

また、読んでいる最中の感覚も、いままでと全く違ったものになるでしょう。

それでいいのです。

そうやって、いままでのコンフォートゾーンになっている読み方から一歩外に出てみることこそがこのワークの狙いだからです。

そのような段階を何度か経ると、今度は普通に読むときの速度が上がっていることに気がつくでしょう。

ぜひことあるごとに繰り替えし、読書スピードを上げていってください。

「風邪の症状の推移」

数日前から風邪気味だ。

とはいうものの、日々の活動はほとんど滞ることなく進んでいる。

 

以前であれば、だいたい2日くらいは使い物にならない状態で、ベッドの中でうなされていた。

いまはもうそういうことはなくなった。

コーチングを学び始め、実践するようになってからというものの、風邪で寝込むということはがなくなったのだ。

風邪はたまにひいているのだが、活動しているうちに治ってしまう。

早ければ1日、長くても数日の間に通常の体調に戻る。

ただし、咳だけ残って長引くことがたまにある。

 

風邪をひいたときの体調を観察していると、面白いことに気がついた。

風邪の諸症状と呼ばれるものがある。

せき、鼻水、のどの腫れと痛み、寒気、節々の痛み、くしゃみ、熱っぽさ、眠気、だるさ

などだ。

これらの症状は、順番に入れ替わるように出てくるのだ。

これは1日で治る短い風邪も、数日かかるものも同様で面白い。

もちろん、現れ方として、症状のひとつが完全に消え、入れ替わるように次の症状、というものではない。

また、順番も常に一定というわけではない。

しかし、なんとなくの傾向というものがあるように思える。

 

私の場合、まず朝起きた時に、体のだるさ、眠気などが感じられることからはじまる。

実はこの時点では、風邪であるという自覚はあまりない。

なぜなら、それ自体はあまり目立った症状ではないからだ。

もし鼻水がダラダラと出て止まらないとかであれば、明らかに体に異常があるとわかるが、だるさや眠気などは平常でもありうるのであまり気にしないのだ。

ただし、観察を続ける中で、これら目立たない初期症状を風邪のひき始めであると自覚する視点を作ることができた。

それは、前日の過ごし方との比較によってもたらされた。

前日が大変忙しかったり、単純に前日の睡眠時間が短いなどであれば、だるさや眠気自体は不自然なものではない。

しかし、前日が比較的落ち着いていて、睡眠も取れているのにもかかわらず、だるさや眠気が過剰に出ている場合は怪しいと考えるわけだ。

もちろんその際には、それなりの対応をする。

 

そして症状が進むと、次はくしゃみがやってきて、その次に寒気や鼻水がやってくる。

この時点までくると、ああ風邪をひいているなと簡単にわかる。

さらに次に進むと、のどの腫れと痛みが現れ、せきが出るようになり、だんだんと風邪そのものが収束していく。

書いてみて気づいたのだが、強い節々の痛みや、高熱はあまりないようだ。

これらが生じる風邪とは、非常に重いものであり、私の場合は日常活動できるレベルの風邪におさまっているため、特に感じられないのだろう。

 

ちなみに、この文章を書いている時点ではせきの段階へ入り始めたところだ。

だからもうすぐ快癒すると思われる。

 

「訓練で人は変わる」

「訓練でこそ」人は変わる。

この観点がなければ、コーチングを学んだとしても、人生を変えることが難しくなってしまうだろう。

訓練とは一体なんだろうか。

何かの技術を、ある一定時間以上の取り組みで、身体レベルにまで落とし込むことだ。

ここから、訓練には、時間をかけた地道な取り組みが必要であるということがわかる。

 

コーチングでは、マインド(mind)を扱う。

マインドとは、脳と心(の機能)のことであり、マインドを上手に運用でき、言語・非言語を通じて他者にそれを伝えることのできる人間をコーチ(coach)と呼ぶ。

通常その際には、他者には前提しているゴール(goal)が存在する。

ゴールとは、人生を変えたい方向性を示すものだ。

よって、コーチとは、他者がゴールに向けて効率よく進んでいけるようなマインドの使い方を伝えることのできる人間である、と考えることができる。

 

マインドの使い方が上手になれば、人生を変えることができるのは当然だろう。

なぜなら、私たちの人生のどのような局面においても、マインドが参加していないことはありえないからだ。

 

さて、ここで、マインドの「使い方」と言っていることに注意してほしい。

何かの使い方を習得する際には、どういう光景が思い描かれるだろうか。

バイオリンの使い方について考えてみよう。

バイオリンの本を買ってくるとする。

バイオリンは木材によって形成され、質量は300〜600グラム、全長は約60センチ、弦が4本あり、E音からG音(ちょうどベースの1オクターブ上だ)まで鳴らすことができると理解した。

この理解が、バイオリンの使い方を習得したと言われると、それはおかしいとすぐにわかるだろう。

なぜなら、実際にバイオリンを手に取り、上手に音楽を奏でることができるようになってはじめて、バイオリンの使い方を習得したと言えるからだ。

もちろん、その使い方の上達には終わりがないことも想像に難くないはずだ。

たった一曲弾けただけで、バイオリンを完全に習得したと言う人間がいたら、その人は世界中の音楽家から叱られるはずだ。

 

何が言いたいかというと、マインドの使い方もまったく同じであるということだ。

マインドについて理解することと、マインドを上手に使うことは、そもそも別の話だ。

だから、コーチングについていくら勉強しても人生が変わらないと言われても(別に言われたことはないが)、こちらとしては大変困る。

バイオリンの本をいくら読んでもバイオリンを弾けるようになりませんと言われているようなものだからだ。

こう書くと、ナンセンスであるとよくわかるだろう。

コーチングは使うことで習得ができるものだし、最終的なインパクトが生まれるものだ。

人生を変えるには、コーチングを生きるという段階に(それもできるだけ早く)入る必要がある。

 

そのためには、もちろん、コーチングの勉強をするにこしたことはない。

今回の記事のような主張を書くと、「ではコーチングの勉強は必要ないのだな」と解釈する人がいる。

残念ながらそれは、初歩的な論理の錯誤だ。

「コーチングは実践が大切だ」という主張は、「コーチングには勉強が必要ない」と言っているわけではないと早く気づくべきだ。

勉強は必要だとしても、じゃあコーチングを実践する段階に入るためにはどうすればいいのか、あるいは、マインドの使い方を習得するためにはどうすればいいのかと思うだろう。

それは、あなたがバイオリンを弾けるようになりたい時、どう振る舞うのが適切かと考えてみればいい。

バイオリンを手にとって毎日弾く、これは基本中の基本だろう。

年に一度しか弾かないのに、バイオリンを習得するのは難しい。

もっと聡い人であれば、ネットで検索して、自分にバイオリンの使い方を正しく教えてくれる人を探し、実際に習いに行くだろう。

質の高い先生と同じ場を共有し、バイオリンの使い方という情報を全身で吸収しようとするだろう。

もちろん家に帰り、そこで習ったことを再現しようと、毎日練習するだろう。

それこそがバイオリンの使い方を効率的に習得する、唯一にして絶対のアプローチのはずだ。

マインドの使い方についても同じだ。

コーチングを受けるということは、バイオリンを習うことに似ている。

もちろん両者の違いもたくさんあるが、そのように理解しておけば当面は問題ないだろう。

また、先生たるコーチと関わるかどうかは別としても、実際にマインドを手に取り、毎日弾いてみるということが重要である。

そこで、この記事で述べたような「訓練」という発想がマインドの使い方習得には欠かせないということは、よくわかると思う。

 

蛇足かもしれないが、コーチングについてよく言われる「変化は一瞬で起きる」、「内部表現の書き換えは一瞬で決まる」というテーゼと、今回の記事の主張はまったく矛盾しない

なぜなら、それらは現象を別の階層から論じたものであり、それゆえ、それらを同じ階層にあるかのように並べると矛盾したように見える、というだけの話だ。

このあたりの話は、稿を改めて書いてみたい。

「私の記事に関する私の記事」

モチベーションについて書いた記事を紹介しよう。

ただし、内容に関しては記事を読んでいただくとして、この記事を引き合いに、「記事に対する考え方」について論じてみたい。

読んでいただくとわかるはずだが、この記事にも専門用語がたくさん出てくる。

ざっと見回しても、

 

・モチベーション(motivation)

・現状(status-quo)

・コンフォートゾーン(comfortzone)

・マインド(mind)

・ゴール(goal)

・エネルギー(energy)

・アファメーション(affirmation)

 

などだ。

これらはすべて、専門用語として扱っている。

専門用語として扱うということは、これらの言葉に厳密な定義を与えながら、それに基づいて記事の主張を設計しているというわけだ。

つまり、なんとなく適当に言葉を運用しているのではないということだ。

 

なぜ、このような専門用語を持ち出した説明を試みる必要があるのだろうか。

それは、多くの人に役立ててほしいからだ。

専門用語とは、科学的な手法に基づいたさまざまな研究をもとにして生み出された言葉だ。

言葉の裏側には、膨大な量の具体的情報が詰まっている。

それゆえ、専門用語を上手に運用することで、潜在的に含まれている情報を抽き出すことができる。

つまり、いろいろな局面に応用が効くということだ。

 

私の記事は専門用語を用いて、さまざまな問題に対する考え方を論理的に導き出すことを目的にしている。

一読して、とっつきにくさを感じるかもしれない(それでもできるだけ論理を追いやすいように書いているつもりだが)。

しかし、繰り返し読んでもらうことで、実は現実のさまざまな局面に応用可能な考え方を示しているということがお分かり頂けると思う。

私もかつて、尊敬する先人の書いたテクストを書き写し、分解し、再統合し、批判的視点を維持しながら吸収するという作業をたくさんやった。

もちろんいまも、毎日そういった作業は欠かすことなく行っている。

嬉しいことに、私の書いた記事を似たようなアプローチで活用いただいていると聞こえるようになった。

記事をどう使うか、というところまで考えながら読むと、みなさんの知的能力が格段にあがることを請け合う。

 

誰も教えてくれない正しいモチベーションの上げ方