「ゲシュタルト」

コーチングの概念にゲシュタルト(gestalt)という概念がある。

意味は、部分と全体が双方向的に関わり合いながら生じる、ある「まとまり」のことだ。

少しわかりにくいかもしれないので、例を出そう。

スターバックスコーヒーに行くとする。

スターバックスに行くと、様々なものが見える。

エプロンをつけた店員、フード、エスプレッソ・マシーン、椅子、照明、ガラス窓、メニュー表、、、

それらはひとつの店舗を形成している。

スターバックスという概念には、さきほどあげたような、目に見えるもの以外の抽象物もさまざま関わりあっている。

スターバックスの理念、コーヒー作りのノウハウ、人材育成のアプローチ、あるいは、スターバックスという企業に参加する人々のコーヒーを愛する気持ち、顧客の感じるハッピーなどだ。

いままであげた、目に見えるもの、目に見えない抽象物が相互に関わり合いながらスターバックスというひとつの全体を構成している。

このような全体をゲシュタルトと呼ぶのだ。

 

ところで、人間の精神もひとつのゲシュタルトであると言える

私たちの精神と呼ばれるもの、つなわち推論、意思決定、記憶、思考、知覚、学習といった認知活動すべても、総合してひとつのゲシュタルトと言うことができるということだ。

また、人間の精神は、五感を通じて情報を取り込みながら、そのゲシュタルト構造そのものがダイナミックに変容し続けている。

簡単に言えば、人間の精神は一瞬ごとに生まれ変わっているということだ。

 

数日前、大人向けのセルフコーチング(self-coaching)プログラムであるTPIE(Tice Plinciples In Excellence)を受講した。

そこで私が五感を通じてキャッチした情報はあまりにも巨大で、私の精神というゲシュタルトを思い切り揺さぶった。

ゲシュタルトを破壊されたといったほうがいいくらいかもしれない。

一度破壊された精神というゲシュタルトは、よほどのことがない限り、再統合(reintegration)される。

プログラム受講後から時間が経ち、少しづつ私のゲシュタルトが再統合されていっている感覚がある。

そして、受講以前には認識できなかったものが、認識できるようになっていることに気がつく。

これは当たり前の話で、ゲシュタルトの再統合は、破壊された際に入ってきた情報を取り込む形で行われるからだ。

比喩的に言えば、精神のかたちそのものが変わってしまう。

だから、新しい認識が生まれるのは当然のことだ。

もちろんその際に、どのような形で再統合されるかの方向性としてゴール(goal)が重要な機能を果たすことは言うまでもない。

ちなみに、パーソナルコーチング(personal-coaching)によって生じる効果も、同様の説明をすることができる。

 

 

いずれにせよ、私にとってTPIEの受講は本当に素晴らしいものだったということだ。

FT(ファシリテーター)、参加者のみなさん、そしてなによりプログラム開発者のルー・タイスと苫米地英人博士に感謝したい。

「読書とコーヒー」

ここ数日で読んだ本をメモしておく。

 

佐野彰彦『経営者のためのウェブブランディングの教科書』

川島良彰『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』

福江幸江/吉城モカ『僕はコーヒーが飲めない①〜③』

 

もともとコーヒーを飲むこと自体は大好きだったが、単に店で飲むという程度だった。

しかし、最近では、コーヒーを自ら煎れることに興味に関心が出てきた。

実際に体験してみたり、すでに嗜んでいる人から教えてもらったりしている。

川島さんの本によると、日本におけるコーヒーの理解はまだまだ十分ではなく、結果として美味しくないコーヒーが味に見合わない値段で提供され続けているのだそうだ。

そして、そういったコーヒーを多くの人が経験してしまうことで、コーヒー離れが進み、コーヒー本来の魅力がますますないがしろにされるという由々しき事態となっている。

そういった状況を変えるため、質の高い豆の提供や、正しいコーヒーの知識の啓蒙活動を、川島さん自ら盛んに行っている。

そこでついた異名が「コーヒーハンター」だ。

 

川島さんの本を読み、私たちコーチングの業界にも似たような構造があるように感じ、コーヒーの話として以上の示唆が得られた気がする。

近いうちに電動ミルやドリッパーなどを購入し、自宅でちょっとしたコーヒーを煎れることを楽しめるようにしようと思っている。

ちなみに、『僕はコーヒーが飲めない』は川島さんが監修をつとめる人気マンガだ。