最近は、人と積極的に関わることをテーマにあげている。
新しい出会いがたくさんあるし、これまでの関係が深まることも多い。
いずれにしても、私よりもひと世代上の人と関わることが多い。
いわば、社会人としての先輩方だ。
そういった人の話を聞いていると、それぞれがたくさんの経験を積まれてきているのだなと素直に尊敬できることが多い。
経験にまさる知識はないと言うが、実際の仕事の現場の中で積み上げてきた先輩方の知識や技術には、とても力強いものを感じる。
私はそういった多くの人たちと比べてみると、極めて特殊な生活をしていたのだな、と感じる。
20代はほとんど浮世離れした生活を送っていた。
これではいかんということで、社会との関わりを少しずつ作るようになっていった。
そして、ようやく社会人になったかなと思えたのは本当にここ数年のことである。
社会とは人の集合であり、仕事とは社会のためになるなんらかの役割のことである。
もちろん、私の過去にそういったものがなかったかといえばそんなことはない。
しかし、とりわけ20代に関しては、積極的な社会との関わり、効果的な仕事の積み上げ方をしていたとは言い難い。
では、私は何も積み上げなかったのだろうか。
そんなことはない。
確かに、具体的、実践的な知に関する蓄積はほとんどなかった気がする。
あったとしても、それぞれの業界の部分的な、あるいは瑣末な知識だけだ。
しかし、私は考えることが好きで、本が好きで、そして「考えることそのものについて考えること」が、何より好きだった。
そこでは、社会との関わりの中で要請される具体的、実践的な形での知とは違う「知」が醸成された。
ある尊敬する人に言われた、いまでも自分を鼓舞する言葉がある。
その人は私を称して「思考力が極めて優れている」と言った。
私は、社会とは少し距離を取りながら、思考する力をひたすら研磨し続けてきたのだと思う。
そういう蓄積をしてきた自分のことは誇りに思っているし、思考という本質的な力は何よりの武器になると考えている。
その武器を下敷きにしながら、先輩方の積み上げてきた「社会との関わり方」に触れていくことがいま何より楽しいと感じる。