昨晩、コーチ仲間と、新しくご縁をいただいた先輩コーチと三人でたこ焼きを食べにいった。
たこ焼きという庶民的な食べ物にはおよそ似つかわしくない、スケールの大きな話ができた。
今回ご紹介いただいた先輩コーチも、私のまったく知らないような知識や経験をお持ちで、そういったお話を聞いているのがとても楽しかった。
また、その方がどのような思いで活動をされているのかについて伺うことも、大きな刺激をいただくことができた。
聞いていて楽しくなれる話は、本当にいいものだ。
村上春樹の短編小説集の冒頭に、以下のような記述がある。
『・・・正直に言って、僕は自分の話をするよりは他人の話を聞く方がずっと好きである。それに加えて、僕には他人の話の中に面白みを見出す才能があるのではないかという気がすることがある。・・・このような能力ーー他人の話を面白く聞ける能力ーー・・・』(回転木馬のデッドヒート9p)
私は昔からこの部分の描写が好きで、なんだか他人事のように思えなかった。
もちろん、セミナーをやったり、場を活発にするために意見を求められたり、相手から説明を求められたりすれば、それには問題なく答えられるようにする準備はある。
それどころか、そういったベクトルでのコミュニケーションの能力をもっともっと高めたいという野心さえ持っている。
しかしながら、本質的には、他人の話を聞くことの方が私にとっては自然なことであり、気兼ねなく楽しめることのような気がする。
そして、その反作用としてなのかどうかはわからないが、「聞く」とは真逆の「書く」という行為もまた好きである。
わがことながら、不思議なものだ。