「コルトレーン」

最近はジャズが好きで、仕事をしながらよく聞いている。

なんにせよそうだが、たしなむ中で自分の好みの傾向がわかってくるものだ。

マイルス・デイヴィス、チェット・ベイカー、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガス、スタン・ゲッツ、ハービー・ハンコック、ウェス・モンゴメリー、チャーリー・パーカーなど、広く浅く聞いてきた。

どれも素晴らしいのだが、どうにも私はとりわけジョン・コルトレーンが好きだと感じた。

 

時期にもよるが、彼のサックスは基本的に能弁だ。

音数が多く、ストイックで、隙間をあまり作るようなプレイヤーではない。

ところが、不思議なことに暑苦しさや、けばけばしさを感じなかった。

これは一体どういうことだろうと思い、彼に関して書かれて本を読んでみた。

藤岡清洋『コルトレーン ジャズの殉教者』という本だ。

たいへんインパクトのあった内容を紹介する。

1966年に来日した際のインタビューでの台詞だった。

インタビュアーの「あなたはいまから10年後、20年後どのような人間になりたいですか」との質問に対して、彼は、

 

I would like to be a saint.

 

と答えた。

「私は聖者になりたい」という意味だ。

このやりとりをよんで、彼のプレイが醸し出している雰囲気の、ある種の不可解さ、おさまりのつかない感じが腑に落ちた気がした。

彼はジャズプレイヤーであるとともに、求道者、修行者であったのだ。

その証拠に、後年になるにつれて、彼は観念的、超現実的な作品を多数残している。

おそらく、作品を通して何か超越的な世界とつながっていくことを求めていたのではないだろうか。

いささか too much なサックスの音   ーーそれは何か救済を求めるような切迫感を感じさせるーー   の隙間を縫うように立ち上がる、清涼さ、荘厳な感じは、彼のゴール設定にあったのだと考えた。

 

彼が残した作品は膨大で、今もなお世に出回っていなかった作品が次々と発見されているという。

ゆっくりと彼の迫ろうとした情報世界を味わっていこうと思っている。

「訓練で人は変わる」

「訓練でこそ」人は変わる。

この観点がなければ、コーチングを学んだとしても、人生を変えることが難しくなってしまうだろう。

訓練とは一体なんだろうか。

何かの技術を、ある一定時間以上の取り組みで、身体レベルにまで落とし込むことだ。

ここから、訓練には、時間をかけた地道な取り組みが必要であるということがわかる。

 

コーチングでは、マインド(mind)を扱う。

マインドとは、脳と心(の機能)のことであり、マインドを上手に運用でき、言語・非言語を通じて他者にそれを伝えることのできる人間をコーチ(coach)と呼ぶ。

通常その際には、他者には前提しているゴール(goal)が存在する。

ゴールとは、人生を変えたい方向性を示すものだ。

よって、コーチとは、他者がゴールに向けて効率よく進んでいけるようなマインドの使い方を伝えることのできる人間である、と考えることができる。

 

マインドの使い方が上手になれば、人生を変えることができるのは当然だろう。

なぜなら、私たちの人生のどのような局面においても、マインドが参加していないことはありえないからだ。

 

さて、ここで、マインドの「使い方」と言っていることに注意してほしい。

何かの使い方を習得する際には、どういう光景が思い描かれるだろうか。

バイオリンの使い方について考えてみよう。

バイオリンの本を買ってくるとする。

バイオリンは木材によって形成され、質量は300〜600グラム、全長は約60センチ、弦が4本あり、E音からG音(ちょうどベースの1オクターブ上だ)まで鳴らすことができると理解した。

この理解が、バイオリンの使い方を習得したと言われると、それはおかしいとすぐにわかるだろう。

なぜなら、実際にバイオリンを手に取り、上手に音楽を奏でることができるようになってはじめて、バイオリンの使い方を習得したと言えるからだ。

もちろん、その使い方の上達には終わりがないことも想像に難くないはずだ。

たった一曲弾けただけで、バイオリンを完全に習得したと言う人間がいたら、その人は世界中の音楽家から叱られるはずだ。

 

何が言いたいかというと、マインドの使い方もまったく同じであるということだ。

マインドについて理解することと、マインドを上手に使うことは、そもそも別の話だ。

だから、コーチングについていくら勉強しても人生が変わらないと言われても(別に言われたことはないが)、こちらとしては大変困る。

バイオリンの本をいくら読んでもバイオリンを弾けるようになりませんと言われているようなものだからだ。

こう書くと、ナンセンスであるとよくわかるだろう。

コーチングは使うことで習得ができるものだし、最終的なインパクトが生まれるものだ。

人生を変えるには、コーチングを生きるという段階に(それもできるだけ早く)入る必要がある。

 

そのためには、もちろん、コーチングの勉強をするにこしたことはない。

今回の記事のような主張を書くと、「ではコーチングの勉強は必要ないのだな」と解釈する人がいる。

残念ながらそれは、初歩的な論理の錯誤だ。

「コーチングは実践が大切だ」という主張は、「コーチングには勉強が必要ない」と言っているわけではないと早く気づくべきだ。

勉強は必要だとしても、じゃあコーチングを実践する段階に入るためにはどうすればいいのか、あるいは、マインドの使い方を習得するためにはどうすればいいのかと思うだろう。

それは、あなたがバイオリンを弾けるようになりたい時、どう振る舞うのが適切かと考えてみればいい。

バイオリンを手にとって毎日弾く、これは基本中の基本だろう。

年に一度しか弾かないのに、バイオリンを習得するのは難しい。

もっと聡い人であれば、ネットで検索して、自分にバイオリンの使い方を正しく教えてくれる人を探し、実際に習いに行くだろう。

質の高い先生と同じ場を共有し、バイオリンの使い方という情報を全身で吸収しようとするだろう。

もちろん家に帰り、そこで習ったことを再現しようと、毎日練習するだろう。

それこそがバイオリンの使い方を効率的に習得する、唯一にして絶対のアプローチのはずだ。

マインドの使い方についても同じだ。

コーチングを受けるということは、バイオリンを習うことに似ている。

もちろん両者の違いもたくさんあるが、そのように理解しておけば当面は問題ないだろう。

また、先生たるコーチと関わるかどうかは別としても、実際にマインドを手に取り、毎日弾いてみるということが重要である。

そこで、この記事で述べたような「訓練」という発想がマインドの使い方習得には欠かせないということは、よくわかると思う。

 

蛇足かもしれないが、コーチングについてよく言われる「変化は一瞬で起きる」、「内部表現の書き換えは一瞬で決まる」というテーゼと、今回の記事の主張はまったく矛盾しない

なぜなら、それらは現象を別の階層から論じたものであり、それゆえ、それらを同じ階層にあるかのように並べると矛盾したように見える、というだけの話だ。

このあたりの話は、稿を改めて書いてみたい。

「事務所に堆積した音楽『場』」

とある事務所に来ている。

そこで音楽を聴いていて、気がついたことがある。

場所を変えて聴いた音楽は、違うものに聴こえるということだ。

それは、スピーカーが良いとか、アンプが上等だとかいった話をしているのではない。

もちろんそれもあるだろうが、もっと広い意味合いでの話だ。

その事務所である音楽が長い間聴かれていたという事実があるとする。

そして、その音楽は「その音楽を聴きたい」という能動的な形で聴かれていたとする。

これは当たり前だろう。

聴きたくないという形で音楽が聴かれることは少ないはずだ。

そうすると、そこには、その音楽が「聴かれる」ために最適な情報が積み上がっていく。

それは、オーディオのちょっとした設定や配置かもしれないし、その部屋にあるその他のもの、あるいは、もっと観念的な気配や気なども関わっているのかもしれない。

あまり広げすぎると話がオカルトめいてくるが、要するに、ありとあらゆる情報が、その音楽を聴きたいという欲求のもと最適化されているということだ。

もちろんそれは、その場にいる「聴く主体者にとって」の最適化ではある。

しかし、その音楽のひとつの「聴き方」のよい模範となることは確かだ。

だから、場に行き、自分の体をその場のあり方に預けてみると、それまでよさがわからなかった音楽の、新しい魅力が伝わってきたりする。

その場に情報として積み上がっている、その音楽に対する聴き方に触れることで、自分の感じ方が変わるのだ。

それは、自分だけではなかなか到達することのできない世界だ。

これを読んでいるみなさんも、自分の何かを変えようとするのなら、ぜひとも「場」に行ってみるということを押すすめする。

新しい感覚がつかめるはずだ。

ただし、本当に自分の中にその感覚を定着させようとするのなら、それなりのリソースがいるかもしれない。

一瞬で受け入れるだけの度量か、あるいは、じわじわと受け入れていくための時間といったところだろうか。

「渋谷系」

最近のマイブームは、渋谷系の音楽だ。

渋谷系とは90年代に流行した、渋谷の特定地域を発祥とする音楽群の総称だ。

ジャンルとしてというよりも、一つのムーブメントとしての呼称であると考えたほうがよいようだ。

その証拠に、渋谷系に内包されるジャンルは実に多岐に渡っている。

とはいうものの、一般的には、フリッパーズギターなどのネオアコのイメージだろう。

 

実は私は、90年代にはあまり渋谷系の音楽を好んで聴いてはいなかった。

そのころも音楽は好きだったが、どちらかといえば、パンクやハードコア、メロコア、スカといったストレートでアッパーな音楽が好きだった。

文学や哲学、アニメなどは、比較的と「内にこもる」ような作品が好きだったのだが、音楽はそうではなかった。

過剰で、エネルギッシュで、いろいろなものを吹き飛ばしてくれるようなサウンドに心惹かれていた。

 

とはいうものの、ビッグヒットを飛ばした小沢健二(フリッパーズギターの片割れ、もう一人は小山田圭吾)の活躍や、あるいは、音楽以外のカルチャー全般の中にちらちらと登場する渋谷系というワードなどを通し、なんとなく気になっていたのは事実だ。

そういう意味では、隣のクラスの気になる女の子みたいな位置付けだった。

そして、声をかけずに卒業してしまった。

 

なぜ今になって渋谷系の音楽を掘り始めたのかは、よくわからない。

たぶんここ数年の世の中の全体が、90年代のリバイバルみたいな方向へ向かっているからだと思う(実際、ファッションの今シーズンのトレンドは明らかに90年代を反映している)。

理由はともかくとして、いま私が90年代の音楽に親しむ感覚には、なんともいえないものがある。

ずっと心に引っかかっていたつかえがとれるようなカタルシスもあるし、自分が成長し、大人になったという感慨もある。

体験すべきだったことを永遠に損なってしまい、それでもなんとか残骸をかき集めて復元しようとしている、そんな感覚もある。

 

そしてまた同時に、そういった種々のノスタルジーを超克してしまいたいという欲求もある。

これは私が、コーチという特殊な職業に従事しているからかもしれない。

 

 

「饒舌な制作会社のディレクター」

菊地成孔が好きで、今もよく彼の音楽やラジオ(粋な夜電波)を聴く。

最近は、彼が90年代から00年代初頭までやっていたバンド「スパンクハッピー」がお気に入りだ。

特に、「岩沢瞳」在籍時のサウンドが、華美で空っぽな80年代の感じが出ていてよい。

本人は、ファッションショー時にモデルが合わせてウォーキングをする音楽(彼はそれをウォーキング・ミュージックと定義した)をベースにしたものだと語っていた。

 

けっこう昔のことになるが、菊地成孔のライブを、「ビルボード大阪」(当時は「ブルー・ノート大阪」に観にいったことがある。

確か5人くらいのジャズ・コンボだった。

官能的に輝くサックスの音色と、演奏の合間にシャネルの香水を宙に振りまく菊地成孔の手首が印象的だった。

 

演奏の合間に、隣にいた中年の男性に声をかけられた。

テレビ番組の制作会社に勤めていると言ったその人物は、やたらと饒舌に、菊地成孔がいかに素晴らしいアーティストであるかを私に語った。

特に拒絶する必要も感じなかったので、私は黙って彼の話を聞いていた。

演奏終了後、私たちは連絡先を交換して別れた。

 

その直後私は、タイに行った。

一人でバックパックを背負って、3週間ほど暑い国をまわった。

バンコク市内に、バックパッカーが集う街に「カオサン」ということろがある。

ある朝、カオサンのネットカフェにて、久しぶりにメールを開いた。

すると、例の男性から連絡がきていた。

短い謝辞のあと、「私が好きそうな」推薦アーティストが列挙されていた。

そしてそのリストには、200以上のアーティスト名が並んでいた。

 

少々面食らったが、私は男性に興味が出たので、帰国したら食事でもしませんか、と返信をしておいた。

しかし、それっきり連絡がこなくなってしまった。

 

あれからもう何年も経ってしまったが、何かの折に連絡が返ってこないかと思っている。

「食事の件ですが、念のため店をピックアップしました」などというタイトルで、長い長いリストが送られてくればとても愉快だ。

そのときは、一番オススメの店はどれですか、などという野暮な質問はしないでおこうと思う。

「訃報」

「L⇔R」のリードボーカル黒沢健一さんが亡くなったそうだ。

48歳。

「L⇔R」としてメディアに出ていたころ、よく聞いていた。

センスがあるとはこういう人のことを言うのだな、と感じた記憶がある。

今年は、ボウイにはじまり、モーリス・ホワイト、プリンス、モーターヘッドのレミー、ソフトバレエの森岡賢、にブンブンサテライツの川島道行と悲しい知らせが続く。

ご冥福をお祈りします。

「忘れられないメタルの話」

忘れられない話というものは、誰にとってもあるものだろう。

私にとってのひとつは、メタルバンド「スリップノット(slipknot)」に関するエピソードだ。

彼らがファースト・アルバムを録音していた時のことだ。

当時のプロデューサー(ロス・ロビンソン)が、音にエモーションを込めるため、演奏するメンバー達に向かって花瓶を投げつけたそうだ。

そして大声で、

「もっとメタルだ!!!」

と叫んだらしい。

激情にかられたメンバーの演奏のおかげで、その名も『slipknot』という名盤が生まれたとのこと。

書きながら、この話のどこが面白いのかまったくわからなくなってしまった。

でも、妙に心に残っている話だ。

 

「英語の夢」

今朝、英語の夢を見た。

自分が英語で会話をする夢だ。

「ねえ、君は『lakeland』製のベースを使っていないか? 先日アメリカのストリートで、君らしき人がベースを弾いているのを見た記憶があるんだ」

こんなことを話した気がする。

向こうから英語での返答があったはずだが、それはよく覚えていない。

 

英語に力を入れ始めて、しばらくが経ったが、英語脳が活性化してきたということなのだろう。