ダライ・ラマ法王猊下が日本に来られた際、会いに行ける場があるのなら、なるべく参加できるようにしている。
理由は単純で、私は猊下のことが大好きだからだ。
今年の5月に、文殊菩薩の許可灌頂をいただいた。
それに先立つ講話では、シャーンティデーヴァの書いた『入菩薩行論』というテクストを解説するものだった。
このテクストは、先月のチッタマニターラの灌頂においても解説をされたので、猊下にとって非常に重要性の高いものであるようだ。
その中で解かれる教えはいろいろとあるが、最も重要なもののひとつは「発菩提心(ほつぼだいしん)(発心)」だ。
菩提心とは、「衆生(しゅじょう)を悟りへと誘う心」のことだ。
そしてそれが「発(ほっ)」するのだから、発菩提心とは、「衆生を悟りへと誘う心が生まれること」だ。
もちろん、発菩提心の時点で、そうなっているはずではない。
ということは、その時点では、あくまでそうなるという宣言なわけだ。
言い換えれば、ゴール設定だ。
しかも注意してほしいのは、このときの衆生とは、人間だけではなく、生きとし生けるものすべてが含まれた概念である点だ。
とてつもなく大きな、まさに現状を大きく超えたゴール設定だと言える。
だからチベット仏教とコーチングがまったく同じものだと言いたいわけではない。
明らかに違う点だってたくさんある。
しかし、根底で通づるところがあるのも確かだ。
軽音楽で例えるなら、アレンジはまったく違うし、歌っている人もまったく違うのだが、根音はまったく同じで、コード進行は酷似している、といった感じだろうか。
まあ、難しいことはわからずとも、機会があれば猊下に会いにいかれることをおすすめする。
あれほど高潔で、あれほどチャーミングな人もそういないのではないだろうか。