「言語運用能力」

たいへんありがたいことに、最近どんどんと忙しくなっている。

もちろん、自分でそういう人生を作っているのだが。

結果的に、魅力的な提案であっても、断らなくてはならない事態も生じている。

何に重要性を持たせるかを、常にゴール側からダイナミックに判断し続ける必要を一段と感じている。

 

言語運用能力をもっともっと高める必要もまた、痛烈に感じる。

現代における仕事の大半(あるいは、少なくとも私の担うべき役割としての仕事)には、言語が大きく関わっている。

メールもそうだし、このような情報発信もそうだし、その他もありとあらゆる業務に、言語を運用するという能力が参加する。

だとすると、言語の運用能力が高まれば、それだけたくさんの仕事をこなすことができるということだ。

私は、文章を書くことの質も量も高い方だと自負しているが、世界トップレベルから考えれば、まだまだ物足りないと考えている。

また、文章を読み、情報を処理する能力もそれなりだと思うが、まだまだ理想には程遠い。

自分のゴールがたいへん大きなものであり、その中に仕事のゴールも入っている以上、言語運用能力を高めていくことは極めて優先度の高い課題であり続ける。

 

多くの人にとってもそれは同様だと思うのだが、どうなのだろうか。

いずれ、言語運用能力を鍛えるようなレクチャーを提供したいと考えている。

今はまだ無償で情報をシェアするので、もし言語運用能力を真剣に高めたいと思う方がいれば、連絡をいただければと思う。

「同調圧力」

同調圧力が嫌いである。

いつの間にか出来上がっていることが多いが、組織(コーポレート)があれば同調圧力が生じる。

この場合の組織とは、会社組織に限らない。

あらゆる集団という意味だ。

 

なぜ同調圧力が嫌いかといえば、それは卑怯だからだ。

卑怯の定義はいろいろとあるが、一貫性がないということがひとつある。

言語で明言されているルールであれば、それは同調圧力でもなんでもない。

しかし、明言されていないものの確かにあるルール(のようなもの)によって、暗黙のうちにそれを守ることを迫るということがある。

暗黙のものに対して一貫性は持たせようがない。

なぜならそれは、状況にあわせて都合よく変化させうるからだ。

これをうまく利用して自分の利益のみを最大化する人は、間違いなく卑怯な人だろう。

 

私たちコーチは、役割上、非言語情報の扱いに長けている必要がある。

それはクライアントのマインドの変化を促すために必要なものだ。

同時に、同調圧力をはじめとする、非言語に関する世の中のネガティブな側面に対しても、しっかりと観察し、良い状況を生み出すよう働きかけていきたいものだと思う。

そのためには、言語運用に長ける必要がある。

言語こそが非言語の曖昧さ、不透明さを是正する(苦肉の)手段だからだ。

 

やはり、非言語は言語とセットになって学んでいくべきものだと思う。

「言語と影響」

多くの人に影響を与えたいと思っている。

もちろん、良い影響だ。

歴史を振り返ってみると、多くの人にかつ永続的に影響を与える事例には、言語が深く関わっている。

実際、各宗教には言語によって書かれた経典がある。

もちろん、言語とは、影響を与えるための触媒にすぎないのだが、有用性が極めて高いのだ。

保存、移動、審議可能な点などが、その理由だろう。

 

昔から言語表現が好きで、それは非言語を上手に扱うコーチになった今も変わらない。

非言語だけでは、影響力に限界があると感じている。