私の実家には犬がいる。
気位が高く、難しいやつだ。
彼の名は「そら」という。
なぜそのような名前になったのかは不明だ。
コーチとして、彼の反応パターンを観察していると面白い。
・頭をなでると怒る
・怒ると噛み付くが、絶対に傷にならない程度におさめる
・こちらが横になっていると、顔をなめてくる
・出かけようとすると邪魔をする
・目覚まし時計の音にあわせて遠吠えをする
・誰も相手にしてくれないと、ねぐらに閉じこもる
・気をひくために、ティッシュを食べようとする
こんな感じだ。
彼は、人間のような言語運用能力と内省的意識を持たない。
よって、私たちが呼ぶ意味でのゴール(goal)を設定することもできなければ、無論、アファメーション(affirmation)を唱えることもできない。
それでもそれなりに幸せそうに見える。
それは、言語運用能力と内省的意識を持たないからこそなのかもしれない。
言語運用能力と内省的意識を持つ人間が幸せを感じるのには、ゴールとアファメーション(あるいは自分を変え続けるなんらかのツール)がそもそも必要だったのだろう。
コーチングを実践すればするほど、すでにある人間のマインド(mind)の精緻さに驚く。
コーチングの理論は説明として素晴らしいものだが、そもそもそれ以前に、人間のマインドが自然に持っている目的的志向(teleological)や、創造性(creativity)こそが素晴らしいのだと痛感させられる。