「そら」

 

私の実家には犬がいる。

気位が高く、難しいやつだ。

彼の名は「そら」という。

なぜそのような名前になったのかは不明だ。

コーチとして、彼の反応パターンを観察していると面白い。

 

・頭をなでると怒る

・怒ると噛み付くが、絶対に傷にならない程度におさめる

・こちらが横になっていると、顔をなめてくる

・出かけようとすると邪魔をする

・目覚まし時計の音にあわせて遠吠えをする

・誰も相手にしてくれないと、ねぐらに閉じこもる

・気をひくために、ティッシュを食べようとする

 

こんな感じだ。

 

彼は、人間のような言語運用能力と内省的意識を持たない。

よって、私たちが呼ぶ意味でのゴール(goal)を設定することもできなければ、無論、アファメーション(affirmation)を唱えることもできない。

それでもそれなりに幸せそうに見える。

それは、言語運用能力と内省的意識を持たないからこそなのかもしれない。

言語運用能力と内省的意識を持つ人間が幸せを感じるのには、ゴールとアファメーション(あるいは自分を変え続けるなんらかのツール)がそもそも必要だったのだろう。

コーチングを実践すればするほど、すでにある人間のマインド(mind)の精緻さに驚く。

コーチングの理論は説明として素晴らしいものだが、そもそもそれ以前に、人間のマインドが自然に持っている目的的志向(teleological)や、創造性(creativity)こそが素晴らしいのだと痛感させられる。

「父」

数年前から父は、森や山や農作物や木などに興味持ちはじめていた。

テレビ番組でそういった特集があると、集中して見ていたのを覚えている。

 

1年半ほど前、私の父は40年以上勤めた自動車関連の会社を退職した。

会社には嘱託として残ってもらえるよう言われていたようで、ずいぶんと悩んだようだったが、結局は断ったそうだ。

幸いというかなんというか、広島の山奥にある母親の生家が、だれも住んでいない状態になっていたので、そこを手入れすることを思いついた。

たまに出かけて行って掃除をしたり、草刈りをしていた。

 

ちょうどそのころの私は、コーチングのライセンスを取り、コーチとしての活動を本格化させたことところだった。

コーチングを勉強する中で、個人が自分の人生をどのように考え、どのように創っていくべきかについて学んだ。

と同時に、個人の人生がどのように外部からの情報によって侵食されるかについても深く学んだ。

もちろん当初は、自分のためである比重が多かったが、学べば学ぶほどに、より多くの人に伝えねばならないという気持ちが湧いてきた。

私は父親に対してコーチングをしようと決めた。

 

実家に帰った際、父親の話を聞き、父親に働きかけを行った。

ひととおりの話が終わった後、私はコーチングというものについての説明をした。

個人が自分の心からやりたいことをやるべきであり、それをバックアップする科学的な理論が存在するのだという話をした。

その話を聞いた父は、

「そういうものにもっと早く出会っていればなあ」

と言った。

そして、

「おれの40年はなんだったんだろうな」

と続けた。

コーチとして活動する中で、唯一だと思うが、そのときは適切な対応ができなかった。

 

その後、私が実家に帰った際には、父のやりたいことに関する話を聞いた。

自分がやっている活動に関しても、なるべく説明するように心がけた。

父はだんだんと自分のやりたいことへの確信を深めていっているように思えた。

 

この年末、前職を退職してのちを総括するような話になった。

父はたくさんのことをやった。

母親の生家の大掛かりな修繕を自分でやり(台所の床をすべてはがし、張り替えたそうだ)、40種類以上の作物を植え、収穫した。

自伐林業に関する講習会に続けて参加し、日本の林業の現状と問題点、抽象化された理論と具体的な技術(チェーンソーにまつわる知識は興味深いものだった)について学んだ。

地域の農業のベテランに師事し、作物に関する細かい知識をレクチャーしてもらいつつ、実際に真似をし、交流を広げていった。

広島市内の、仕事を引退した人を中心に結成された、木を切る活動をする集まりに参加し、ボランティアで木を切って回った。

バイトも兼ねて、造園業のお手伝いをはじめ、親方について個人宅の庭に入り、松などの手入れをするようになった。

そのほか、ここには書ききれないくらいの活動を行った。

昨日、お好み焼きを食べながら父は、日本の農業や林業の未来を、そして自分がこれからやりたいことを、自身の政治観・現実の政治家たちの政策と絡めながら、私に語って聞かせてくれた。

 

私はこういうとき、人間には無限の可能性があるのだというルー・タイスの信念をいつも思い出す。

そして、深い喜びとともに、明日からもまたコーチとして自分は生きるのだという決意を新たにする。

私の父の40年は決して意味のないものではない。

私という人間はその40年がなければここには存在しておらず、心から感謝している。

ただ、その40年に縛られながら人生の後半を過ごしてもらうのは、私に取っても本意ではなかった。

父の未来を作るお手伝いがほんの少しだけできたのかなと思った。

 

いま、父が幸せなのかどうかは私にはわからない。

なぜならそれは、父自身が決めることだからだ。

しかし、少なくとも、幸せそうには見える。

人間の幸せとは何かと考えたとき、理想を持ち、その理想に向かって毎日クリエイティブに過ごすことだと答える。

いまの父は、そのような日々を送っているように見える。

「豆腐と記憶と坊主の話」

広島県神石郡にある、神石町相戸というところにいる。

母親の生家だ。

普段はもうここには誰もいないのだが、広島市内にいる私の両親が、週末に訪れ、野菜を作ったり、家をメンテナンスしたりしている。

私が実家に帰ったときにタイミングがあえば、一緒に訪れる。

 

広島の実家からは車で約2時間半かかる。

途中、三次町で下車した。

そこに有名な豆腐屋さんがあり、そこでは食事も出しているので、昼ごはんを食べることにした。

厚揚げ、冷奴、豆乳、湯葉のてんぷら、油揚げ、大豆の入ったひじき、豆腐がたっぷりの豚汁に五穀米という内容だった。

食事をすませ、神石町相戸までの道のりは一時間といったところだ。

私が小さい頃の話になった。

 

私は広島市の牛田というところに住んでいた。

当時住んでいたのは一軒家で、となりにはアパートがあった記憶がある。

アパートに住む大学生くらいの青年の部屋に、小学校低学年の私と、幼稚園の弟はよく遊びに行っていた。

青年の彼女も相手をしてもらうこともあった。

青年がアパートを出るとき、ファミコンのソフトだかなんだかをくれた。

もちろん彼が今どうしているかなんてわからないし、名前も顔も覚えていない。

 

実は、そのアパートが建つ前には、ボロい一軒家が建っていたそうだ。

私はそのことをまったく覚えていなかった。

そしてそこには、かなり「おかしな」男が住んでいたそうだ。

私と弟が騒いでいると、窓を大きな音をたてながら威嚇したり、近くの川に向かって大声をあげていたり、そうかと思えば、坊主が着るような「袈裟」を身につけてどこかに出かけていくこともあったそうだ。

あげくの果てに、職場からの連絡先として、私の家の電話番号を電話帳で調べ、勝手に申告していたそうだ。

職場はとある寺だったそうなのだが、そこから我が家に電話がかかってきたことで、その事実が発覚した。

親切な母は取り次いであげたそうだが、今の時代であればあり得ないことかもしれない。

怖い話だ。

やがて男はどこかに行ってしまい、ボロい建物は取り壊され、アパートが建つこととなった。

 

驚くべきことに、これら一切のエピソードを私は覚えていなかった。

これだけエキセントリックで印象的な男のことなのにだ。

小学校に入るか入らないかくらいのことだったので、無理もないのかもしれない。

また、あまりにトラウマティックな経験ゆえに、記憶を消してしまったのかもしれない。

幼少期に住んでいた家の隣の記憶は、あの優しい青年の住むアパートから始まり、そこで完結している。

「帰省」

新大阪に来ている。

いまから新幹線に乗り、実家のある広島へと帰る。

年末年始を広島で過ごすのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。

指定席を取ろうかと思ったのだが、15時の時点で、19時の便まで指定席はいっぱいになっていたのであきらめた。

自由席の混雑した中で揺られながら帰ることにした。

 

荷造りをしていて改めて感じたのは、私の仕事の大部分はどこでもできるということだ。

もちろん、コーチングセッションや、セミナー、あるいは人との打ち合わせに関しては、時空の指定があるので、その限りではない。

しかし、その他の仕事(驚くべきことに、その他の仕事のほとんどすべてに言語が関わっている)は時間や場所を選ばず行うことが可能だ。

荷物のほとんどはそのために必要なものばかりだった。

とは言っても、PC、モバイル、充電器、資料、本、ノート、筆記用具、だいたいこれくらいだ。

より望ましい環境や時間帯はあるにはあるが、本質的には、これらがあれば、どこでも仕事ができる。

この調子で、活動範囲を広げていきたいと思う。

来年は、2箇所外国に行く予定がすでにある。

地球全体が遊びのフィールドであり、仕事の実践のフィールドだ。

「くるみ」

最近は、くるみをよく食べている。

おやつとしてコーヒーを飲みながら食べることが多い。

1キロ1650円のアメリカ産のものを購入している。

味はまったくついていないもので、くるみの本来の味が楽しめる。

食べていて気がついたのだが、いま購入しているくるみは、少し油分が多いような気もする。

くるみの種類によって違うものなのだろうか。

他の種類のものもためしてみたいと思う。

「疲れ」

疲れが溜まっていたようで、どうにも仕事がはかどらなかった。

午前中から15時くらいにかけては、家で仕事をして眠ってを繰り返していた。

たまにこういう日がある。

ここ最近、どんなスケジュールを過ごしてきたか確認をしてみた。

そうすると、3週間くらいかなりハードな日々であることがわかった。

おまけに、その中で自分のゲシュタルトが根底から破壊されるようなインパクトのある学び、気づきが何度もあった。

そりゃあ疲れるわけだなと思いながら、同時にいくつかのことを考えた。

 

プロのアスリートは、疲労との折り合いのつけ方がとても大切であると聞いたことがある。

いかにトレーニングをするかよりも、いかに休むかのほうが難しく、重要であるそうだ。

プロになる人なのだから、トレーニングに一生懸命取り組むことは当たり前のことなのだろう。

だから、むしろ休む技術のほうで差が出る、そういうことなのかもしれない。

 

私はプロのアスリートではないが、やっていることはプロの活動なわけだから、基本は同じだと思う。

疲労を上手にマネジメントしながら、日々の知的向上を最大化し、社会へ果たす役割の水準を最大化する。

このような観点からいまいちど日々の過ごし方を見つめ直す必要があるようだ。

 

 

「批判」

批判が批判として有効に機能するには、いくつか条件があると思われる。

 

一つ目は、徹底して論理的に導き出された主張による批判だということ。

二つ目は、その批判を解決するための対案を持つこと。

三つ目は、その対案に基づき、批判者がなんらかの現実的な行動を起こしていること。

 

批判のあるべき姿は、以上三つを満たしたものであるというのが現時点での私の見解だ。

もしこれらが満たされていなかったとしたら、それは批判ではなく、単なる愚痴、暴論、当てこすり、空理空論などになってしまう。

いかに頭が回る人であっても、これらを常に満たすような形で批判を展開している人は少ないように思われる。

 

そういう批判(のようなもの)に出くわした時には、上記の三つが満たされているのかをチェックしてみるといいのではないだろうか。

冷静にそういう観察をしていると、批判者が置かれている立場、批判者の中にある情動記憶(emotional memory)、批判者の持つ信念(belief)などが推察されてくる。

そして、なぜその人がそのような批判足り得ない発言をするに至ったのか、といったことまでもがなんとなく見えるようになる。

だからといって、そういった部分を追求し相手をやり込める必要はない(もちろんそうしたほうがいい場合には遠慮なくすればいいが)。

ここで言いたいのは、そのような批判者自身がスコトーマ(scotoma)になっている認識を踏まえ、どのように認識してもらうかを想定した議論に持っていくのが、私たちが取るべき立場ではなかろうかということだ。

これはなかなか難しく、技術のいる話である。

また、これは、パーソナルコーチングにも深いところでつながってくる話であると考えている。

とにかく、本記事では批判というものに対するスケッチ程度の分析なので、これ以上深入りはしない。

最後にルー・タイスの言葉を紹介しておこう。

 

Don’t change Them, Change You.

(人々を変えるのではなく、自分を変えましょう)

「たこ焼き」

昨晩、コーチ仲間と、新しくご縁をいただいた先輩コーチと三人でたこ焼きを食べにいった。

たこ焼きという庶民的な食べ物にはおよそ似つかわしくない、スケールの大きな話ができた。

今回ご紹介いただいた先輩コーチも、私のまったく知らないような知識や経験をお持ちで、そういったお話を聞いているのがとても楽しかった。

また、その方がどのような思いで活動をされているのかについて伺うことも、大きな刺激をいただくことができた。

聞いていて楽しくなれる話は、本当にいいものだ。

 

村上春樹の短編小説集の冒頭に、以下のような記述がある。

 

『・・・正直に言って、僕は自分の話をするよりは他人の話を聞く方がずっと好きである。それに加えて、僕には他人の話の中に面白みを見出す才能があるのではないかという気がすることがある。・・・このような能力ーー他人の話を面白く聞ける能力ーー・・・』(回転木馬のデッドヒート9p)

 

私は昔からこの部分の描写が好きで、なんだか他人事のように思えなかった。

もちろん、セミナーをやったり、場を活発にするために意見を求められたり、相手から説明を求められたりすれば、それには問題なく答えられるようにする準備はある。

それどころか、そういったベクトルでのコミュニケーションの能力をもっともっと高めたいという野心さえ持っている。

しかしながら、本質的には、他人の話を聞くことの方が私にとっては自然なことであり、気兼ねなく楽しめることのような気がする。

そして、その反作用としてなのかどうかはわからないが、「聞く」とは真逆の「書く」という行為もまた好きである。

わがことながら、不思議なものだ。

「社会人」

最近は、人と積極的に関わることをテーマにあげている。

新しい出会いがたくさんあるし、これまでの関係が深まることも多い。

いずれにしても、私よりもひと世代上の人と関わることが多い。

いわば、社会人としての先輩方だ。

そういった人の話を聞いていると、それぞれがたくさんの経験を積まれてきているのだなと素直に尊敬できることが多い。

経験にまさる知識はないと言うが、実際の仕事の現場の中で積み上げてきた先輩方の知識や技術には、とても力強いものを感じる。

 

私はそういった多くの人たちと比べてみると、極めて特殊な生活をしていたのだな、と感じる。

20代はほとんど浮世離れした生活を送っていた。

これではいかんということで、社会との関わりを少しずつ作るようになっていった。

そして、ようやく社会人になったかなと思えたのは本当にここ数年のことである。

社会とは人の集合であり、仕事とは社会のためになるなんらかの役割のことである。

もちろん、私の過去にそういったものがなかったかといえばそんなことはない。

しかし、とりわけ20代に関しては、積極的な社会との関わり、効果的な仕事の積み上げ方をしていたとは言い難い。

 

では、私は何も積み上げなかったのだろうか。

そんなことはない。

確かに、具体的、実践的な知に関する蓄積はほとんどなかった気がする。

あったとしても、それぞれの業界の部分的な、あるいは瑣末な知識だけだ。

しかし、私は考えることが好きで、本が好きで、そして「考えることそのものについて考えること」が、何より好きだった。

そこでは、社会との関わりの中で要請される具体的、実践的な形での知とは違う「知」が醸成された。

ある尊敬する人に言われた、いまでも自分を鼓舞する言葉がある。

その人は私を称して「思考力が極めて優れている」と言った。

私は、社会とは少し距離を取りながら、思考する力をひたすら研磨し続けてきたのだと思う。

そういう蓄積をしてきた自分のことは誇りに思っているし、思考という本質的な力は何よりの武器になると考えている。

その武器を下敷きにしながら、先輩方の積み上げてきた「社会との関わり方」に触れていくことがいま何より楽しいと感じる。

「風邪の症状の推移」

数日前から風邪気味だ。

とはいうものの、日々の活動はほとんど滞ることなく進んでいる。

 

以前であれば、だいたい2日くらいは使い物にならない状態で、ベッドの中でうなされていた。

いまはもうそういうことはなくなった。

コーチングを学び始め、実践するようになってからというものの、風邪で寝込むということはがなくなったのだ。

風邪はたまにひいているのだが、活動しているうちに治ってしまう。

早ければ1日、長くても数日の間に通常の体調に戻る。

ただし、咳だけ残って長引くことがたまにある。

 

風邪をひいたときの体調を観察していると、面白いことに気がついた。

風邪の諸症状と呼ばれるものがある。

せき、鼻水、のどの腫れと痛み、寒気、節々の痛み、くしゃみ、熱っぽさ、眠気、だるさ

などだ。

これらの症状は、順番に入れ替わるように出てくるのだ。

これは1日で治る短い風邪も、数日かかるものも同様で面白い。

もちろん、現れ方として、症状のひとつが完全に消え、入れ替わるように次の症状、というものではない。

また、順番も常に一定というわけではない。

しかし、なんとなくの傾向というものがあるように思える。

 

私の場合、まず朝起きた時に、体のだるさ、眠気などが感じられることからはじまる。

実はこの時点では、風邪であるという自覚はあまりない。

なぜなら、それ自体はあまり目立った症状ではないからだ。

もし鼻水がダラダラと出て止まらないとかであれば、明らかに体に異常があるとわかるが、だるさや眠気などは平常でもありうるのであまり気にしないのだ。

ただし、観察を続ける中で、これら目立たない初期症状を風邪のひき始めであると自覚する視点を作ることができた。

それは、前日の過ごし方との比較によってもたらされた。

前日が大変忙しかったり、単純に前日の睡眠時間が短いなどであれば、だるさや眠気自体は不自然なものではない。

しかし、前日が比較的落ち着いていて、睡眠も取れているのにもかかわらず、だるさや眠気が過剰に出ている場合は怪しいと考えるわけだ。

もちろんその際には、それなりの対応をする。

 

そして症状が進むと、次はくしゃみがやってきて、その次に寒気や鼻水がやってくる。

この時点までくると、ああ風邪をひいているなと簡単にわかる。

さらに次に進むと、のどの腫れと痛みが現れ、せきが出るようになり、だんだんと風邪そのものが収束していく。

書いてみて気づいたのだが、強い節々の痛みや、高熱はあまりないようだ。

これらが生じる風邪とは、非常に重いものであり、私の場合は日常活動できるレベルの風邪におさまっているため、特に感じられないのだろう。

 

ちなみに、この文章を書いている時点ではせきの段階へ入り始めたところだ。

だからもうすぐ快癒すると思われる。