「身体の運用技術」

昔、空手と合気道をやっていたことがある。

いずれも短い時間でやめてしまった。

後年になって、なぜそのとき続けられなかったかがわかるようになった。

私は、より合理的な、より理想的な身体の運用技術があることを直感していた。

そして、私が参加した道場では、そのことが上手に表現されていると思えなかったのだ。

もちろんこれは、上記の武術すべてにおいて、望ましい身体の運用技術が提供されていないという意味ではない。

少なくとも、私が参加した道場ではそうだと感じたという話だ。

 

そういえば、モデルをやっていた際にも、同様の経験があったた。

モデルの専門技術としてウォーキングがある。

そして、歩く技術を教えるスタジオがあり、専門家がいる。

何度かそういう専門家と関わったり、ウォーキングを習うことを推薦された経験がある。

しかし、どうしてもその人たちからウォーキングを習うことに対し、食指が動かなかった。

今思えば、武術の件と同様に、その人たちと関わっても身体の本質的な正しい運用方法が学べると思えなかったのだろう。

 

いまこのような振り返りができるのは、身体の正しい運用技術の体系に出会い、学ぶことができているからだ。

さまざまな「これは違う、これも違う」という体験があったからこそ、出会うことができたのかもしれない。

「体調」

3週間ばかり濃密な予定が続き、今週の月曜日にそれが終わった。

その結果、ゲシュタルトが一時的に破壊され、それが落ち着くまで数日を必要とした。

具体的には、なんとも落ち着かない精神状態や、筋肉のこわばり、眠気、頭痛、集中力の欠損などが生じる。

そして、金曜日である今日、だいたいもとの状態に戻ったように感じる。

落ち着くまでの間に、何もやっていないわけではない。

基本的には仕事をしている。

ところが、よく自分を観察してみると、やはり高度に脳を使うようなタスクをこなすことは難しいようだ。

 

自分が成長するためには、すでに出来上がったゲシュタルトを壊し、ゴール側へと再統合することを繰り返す必要がある。

ところが、ゲシュタルトの破壊の規模が大きすぎると、リカバリーに少々時間がかかる。

リカバリーの数日を仕方のないものとして受け入れるか、あるいは、ゲシュタルトの破壊の規模をもう少し抑え、小刻みに変化をしていくのか。

どちらがいいのかは一概には判断がつきづらい。

しかし、最近では、数日にわたって影響が出るほどでもなく、それなりにゲシュタルトの破壊が生じる程度のスケジュールの組み方が望ましいのではないかと考えている。

言葉では説明しづらいのだが、成長のペース(ゲシュタルトの破壊の規模)と、リカバリーに必要な時間の関係には、ちょうど二次関数の最大値をとるようないいポイントがあるような気がする。

 

書いていて思いついたのだが、成長のペースと、リカバリーの時間とのさらに上の抽象度で何か考えることができれば、もっと成長が早く、リカバリーする時間も必要のないアプローチがあるかもしれない。

それが何かはまだわからないが、そのうち思い付くだろう。

「ゆる体操」

高岡英夫という人を知っているだろうか。

「ゆる体操」の創始者である。

私はコーチングの勉強を始めるとともに、ゆる体操を本格的に始め、さらにその奥にある身体の世界についても深く学び続けている。

素晴らしい出会いに恵まれ、とてもスムーズに、安全に、楽しく学び続けることができている。

「ゆる体操」どんな人にもおすすめですよ。

「a long sleep」

今日はとても長い時間眠った。

 

火曜、水曜と、それまでの激動のスケジュールの影響で、うまく頭が働かない状態だった。

ようやく木曜(本日)になって、少し回復したかな、という兆しを感じる。

かなり濃い予定が2〜3週間続くと、このような状態になるというデータがとれた。

以前はもう少し、短い時間で生じてきた気がするから、脳がレベルアップしているとも言える。

いずれにせよ、高い抽象度で一ヶ月くらいの予定を俯瞰し、脳の休息をあらかじめ予定に組み込んでおくべきだろう。

 

この状態を「脳の疲労」と呼ぶのはあまりしっくりとこない。

それよりも、「新しい情報をたくさん吸収し、もともとのゲシュタルトが一時的に壊れ、進化した形で再統合しようとしている期間」であると捉えたい。

そして、こういう時間自体もなくなっていくのだというセルフイメージを作り込んでいこうと思う。

「anytime,anywhere 鍛錬」

いついかなるときも鍛錬をする必要がある。

なぜそんな必要があるのかについては、まあいいだろう。

いついかなるときも鍛錬をするには、いついかなるときも行っていることをターゲットとするのが順当だろう。

一瞬たりもとも止めることがない、いついかなるときも多なっていることとはなんだろうか。

それは呼吸だ。

呼吸を鍛錬し、上達し、無意識レベルで鍛錬できるほどになれば、いついかなるときも鍛錬し続けることができるようになったことになる。