「疲れ」

疲れが溜まっていたようで、どうにも仕事がはかどらなかった。

午前中から15時くらいにかけては、家で仕事をして眠ってを繰り返していた。

たまにこういう日がある。

ここ最近、どんなスケジュールを過ごしてきたか確認をしてみた。

そうすると、3週間くらいかなりハードな日々であることがわかった。

おまけに、その中で自分のゲシュタルトが根底から破壊されるようなインパクトのある学び、気づきが何度もあった。

そりゃあ疲れるわけだなと思いながら、同時にいくつかのことを考えた。

 

プロのアスリートは、疲労との折り合いのつけ方がとても大切であると聞いたことがある。

いかにトレーニングをするかよりも、いかに休むかのほうが難しく、重要であるそうだ。

プロになる人なのだから、トレーニングに一生懸命取り組むことは当たり前のことなのだろう。

だから、むしろ休む技術のほうで差が出る、そういうことなのかもしれない。

 

私はプロのアスリートではないが、やっていることはプロの活動なわけだから、基本は同じだと思う。

疲労を上手にマネジメントしながら、日々の知的向上を最大化し、社会へ果たす役割の水準を最大化する。

このような観点からいまいちど日々の過ごし方を見つめ直す必要があるようだ。

 

 

「初級・コーチングセミナー」

本日は、大阪でコーチングのセミナーだった。

内容は、コーチング理論を学び始めるにあたって押さえておくべきポイントとの確認と、コーチングを学ぶための様々なコンテンツを概観するというものだった。

我々の提供するコーチングを学ぶためのコンテンツはたくさんある。

書籍や映像はもちろんのことながら、プログラムや養成講座、あるいは実際にコーチングセッションを受けるなど、実に内容が様々だ。

コンテンツが豊富になっていくことは喜ばしいことなのだが、一方で、混乱が生まれるという側面もある。

それぞれがどのような内容と意義を持ち、自分にとってどれが相応しいのかがわかりにくくなっている。

事実「TPIEとPX2はどのように違うのですか」とか「苫米地式コーチングとパフォーマンス・エンハンスメント・コーチングはどう違うのですが」などという質問が増えている印象がある。

学ぶべきコンテンツが増え、興味を持ってくれている人が増えていることは間違いなくいいことなのだが、混乱を放置していては、せっかくの状況が悪い方向へ進むだろう。

そこで、コーチングを学ぶコンテンツを整理し、全体像を捉えようというのがこのセミナーの狙いだ。

そのための資料を作成し、それに基づいて順番に解説を試みた。

 

参加していただいた方はみなさん熱心で、鋭い視点をお持ちの素晴らしい方ばかりだった。

今日の内容を役に立てていただけると確信している。

 

年内の私のセミナーはこれで最後だ。

来年も、多くの人のために、たくさんの企画を実行していきたいと思っている。

「たこ焼き」

昨晩、コーチ仲間と、新しくご縁をいただいた先輩コーチと三人でたこ焼きを食べにいった。

たこ焼きという庶民的な食べ物にはおよそ似つかわしくない、スケールの大きな話ができた。

今回ご紹介いただいた先輩コーチも、私のまったく知らないような知識や経験をお持ちで、そういったお話を聞いているのがとても楽しかった。

また、その方がどのような思いで活動をされているのかについて伺うことも、大きな刺激をいただくことができた。

聞いていて楽しくなれる話は、本当にいいものだ。

 

村上春樹の短編小説集の冒頭に、以下のような記述がある。

 

『・・・正直に言って、僕は自分の話をするよりは他人の話を聞く方がずっと好きである。それに加えて、僕には他人の話の中に面白みを見出す才能があるのではないかという気がすることがある。・・・このような能力ーー他人の話を面白く聞ける能力ーー・・・』(回転木馬のデッドヒート9p)

 

私は昔からこの部分の描写が好きで、なんだか他人事のように思えなかった。

もちろん、セミナーをやったり、場を活発にするために意見を求められたり、相手から説明を求められたりすれば、それには問題なく答えられるようにする準備はある。

それどころか、そういったベクトルでのコミュニケーションの能力をもっともっと高めたいという野心さえ持っている。

しかしながら、本質的には、他人の話を聞くことの方が私にとっては自然なことであり、気兼ねなく楽しめることのような気がする。

そして、その反作用としてなのかどうかはわからないが、「聞く」とは真逆の「書く」という行為もまた好きである。

わがことながら、不思議なものだ。

「社会人」

最近は、人と積極的に関わることをテーマにあげている。

新しい出会いがたくさんあるし、これまでの関係が深まることも多い。

いずれにしても、私よりもひと世代上の人と関わることが多い。

いわば、社会人としての先輩方だ。

そういった人の話を聞いていると、それぞれがたくさんの経験を積まれてきているのだなと素直に尊敬できることが多い。

経験にまさる知識はないと言うが、実際の仕事の現場の中で積み上げてきた先輩方の知識や技術には、とても力強いものを感じる。

 

私はそういった多くの人たちと比べてみると、極めて特殊な生活をしていたのだな、と感じる。

20代はほとんど浮世離れした生活を送っていた。

これではいかんということで、社会との関わりを少しずつ作るようになっていった。

そして、ようやく社会人になったかなと思えたのは本当にここ数年のことである。

社会とは人の集合であり、仕事とは社会のためになるなんらかの役割のことである。

もちろん、私の過去にそういったものがなかったかといえばそんなことはない。

しかし、とりわけ20代に関しては、積極的な社会との関わり、効果的な仕事の積み上げ方をしていたとは言い難い。

 

では、私は何も積み上げなかったのだろうか。

そんなことはない。

確かに、具体的、実践的な知に関する蓄積はほとんどなかった気がする。

あったとしても、それぞれの業界の部分的な、あるいは瑣末な知識だけだ。

しかし、私は考えることが好きで、本が好きで、そして「考えることそのものについて考えること」が、何より好きだった。

そこでは、社会との関わりの中で要請される具体的、実践的な形での知とは違う「知」が醸成された。

ある尊敬する人に言われた、いまでも自分を鼓舞する言葉がある。

その人は私を称して「思考力が極めて優れている」と言った。

私は、社会とは少し距離を取りながら、思考する力をひたすら研磨し続けてきたのだと思う。

そういう蓄積をしてきた自分のことは誇りに思っているし、思考という本質的な力は何よりの武器になると考えている。

その武器を下敷きにしながら、先輩方の積み上げてきた「社会との関わり方」に触れていくことがいま何より楽しいと感じる。

「to TOKYO」

東京に向かっている。

 

東京に行く際、いつも利用するのは「ぷらっとこだま」だ。

新幹線「こだま」なので、各駅停車で、新大阪から東京まで4時間かかる。

しかし、出発日よりも早めの予約さえ問題なければ、グリーン車が11800円で予約できる。

これは「ひかり」や「のぞみ」の指定席よりも安い値段だ。

 

たいていの場合、席はガラガラで、いまも同一車両内に10人も座っていない。

当然のことながら、静かだ。

聞こえてくるのは、たまに流れる車内放送と、新幹線が風を切る音くらいのものだ。

また、シートはどっしりとして厚く、照明も自由席や指定席と比べて落ち着いて温かみのあるトーンだ。

非常に居心地のいい空間だ。

 

私はこの場を書斎だと考えて活用している。

読書や、資料作成、スケジュール作成、仮眠など、ゆったりとした時間を過ごす。

もちろん、食事をとったりもする。

そんな過ごし方をしていると、一人の移動であっても、4時間なんてあっという間に過ぎてしまう。

 

新大阪〜東京間を移動する人にはおすすめだ。

 

「岐阜から帰る新幹線の中にて」

今日は岐阜で講演会だった。

保護者の立場の方を中心とした、約80人の前で話をしてきた。

子育ての場面での「怒り」の感情をどのようにコントロールしていくか、というテーマで話をした。

そして、参加者に少しでも体感を持ち帰ってもらえるように、ワークをたくさん用意した。

これがなかなか良かったのではないかと思う。

 

もちろん、個人的にはまだまだ自分の出来に満足がいかない。

人前で話すということにも、感覚があり、技術があり、知識があり、そして当然うまいへたがある。

今日も自分の課題がたくさん見つかった。

こういう課題は、今日のような「場」を経験する中でしかわからないことなので、主催の方、参加していただいた方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

ありがとうございます。