「恐怖 of affirmation」

ときどき怖くなることがある。

何がかといえば、アファメーションの効果である。

つい今しがた、夢中になって本を読んでいた。

「おおこれはすごいことが書いてある、ぜひ取り入れて実行しよう、そのためにこういうことをやって、、、」などと考えていた。

ふと思い返して、私のアファメーションを見返すと、その本の内容は、ついひと月ほど前に追加した項目にぴたりと一致するものだった。

アファメーションによって書き換わった無意識が勝手に情報を探し、見つけ、そして情動まで引っ張り出したのだ。

怖い、そう感じた。

その効果もさることながら、もし「望ましくない無意識」だったとしたら、人間は創造的に不幸になり続けるということだ。

このリスクと、だからこそアファメーションの技術の価値をできるだけ多くの人に伝えたいと思う。

「野菜の作る全体」

少し前のことになるが、実家から宅配便が届いた。

荷物としてはいびつなほどに横長のダンボールの中には、ぎっしりと食材が詰まっていた。

白菜、キャベツ、小松菜、長ネギ、ほうれん草、大根、じゃがいも、さつまいも、たまねぎ、ゆず、えごま油などなど。

なぜかそれらにまぎれて、黒光りする「ブラックサンダー」のお徳用パックが一袋入っていた。

「ブラックサンダー」はいいとしても、この大量の食材をどうしたものかとしばらく考えた。

考えたところで結論は目に見えている。

料理をして、食べるだけだ。

それも何日もかけて。

それから数日が経ち、いろいろな料理を作った。

今日はベーコンとクリームシチューのもとを買ってきたので、白菜と玉ねぎを一緒に煮てみようと思っている。

コーチングの概念にゲシュタルト(gestalt)というものがある。

「部分と全体が双方向的に関わり合いながら織りなすひとまとまり」のことだ。

コーチングの文脈の中では、「クライアントのゴールの世界をクライアントのひとまとまりの認識世界(=ゲシュタルト)として作り上げる」といった形で使われる。

ゲシュタルトという概念は、何もコーチングの中においてのみ有用なわけではない。

たとえば、さきほど話題に挙げた料理。

ひとつの料理も、ひとつのゲシュタルトと考えることができる。

クリームシチューというゲシュタルトの中には、白菜があり、ベーコンがあり、玉ねぎがある。

調味料や水が入っている。

クリームシチューという料理の成立過程まで含めれば、食材を切る、湯を沸かす、調味料を入れる、煮るなど各タスクも入っている。

白い色、柔らかい質感、とろけるような匂い、あたたかい口当たりといった「情報」も入っているとも考えられる。

全部あわせてひとつのゲシュタルトだし、マトリョーシカのようにゲシュタルトの中にゲシュタルトが入っている。

そう考えると、私たちはゲシュタルトに取り囲まれ、ゲシュタルトの中に生きていることがわかる。

実は、私たち自身の存在そのものもゲシュタルトだ。

「憧れの人」

先日、大阪駅の近く、丸福コーヒーで食事をとっていた。

私が注文したのはビーフシチューとコーヒーだった。

何気なく辺りを見回しすと、少し離れた席に体格のいい金髪の男性が座っていた。

松本人志だった。

私は20年来の松本人志ファンで、彼の数々の作品とともに成長してきたと言っても過言ではない。

『ごっつええ感じ』、『ガキの使いやあらへんで』、『ヴィジュアルバム』、『一人ごっつ』、『働くおっさ人形』、「モーニングビッグ対談』など、あげていけばきりがない。

とりわけ、放送作家の高須光聖とやっていたラジオ番組『放送室』は、何もすることがなく、とても暇だったころに繰り返し何度も聞いた。

あの松本人志が声をかければ振り向くくらいの距離にいる、そう思うと私の心臓の鼓動は早まった。

もう少し正確に言えば、松本人志かもしれないと思った瞬間にはもう鼓動は通常の速さではなかった。

いずれにせよ、これはおかしなことだなと感じた。

なぜなら、言い方は悪いが、向こうに座っているのは単なる「おかしな髪の色をした筋肉質の中年男性」に過ぎないわけだ。

その人がいくら笑いの天才であろうと、目の前にいるだけではわからない。

にもかかわらず、私の心臓はどきどきとしていているのだ。

なぜだろうか。

私たちの多くは、いつの間にか外側から「これが重要である」という価値観を刷り込まれている。

この価値観のことをブリーフ(belief)という。

そしてそのブリーフに基づき、思考し、行動をする。

ブリーフによって心臓の速さまで変えてしまう。

私は松本人志が重要であるというブリーフを、どこまで自らの意思で決めたのだろうか。

いままで一度もそんなこと考えたことはなかったな、そう思いながら帰宅し、動画を見てみた。

相変わらず普通ではない笑いを追求している画面の中の松本人志は、相変わらず最高に面白かった。

やはり自分にとって彼は重要な存在である、そう決めることにした。

これを読んでいる皆さんにとって無条件に重要なものは、自分で決めるというプロセスを経たものだろうか。

「疲れ」

たまに「そんなにたくさんのことをやって疲れないのですか?」と聞かれる。

疲れます。

特に、脳が疲れたと感じることは多々ある。

毎日夜寝る前になると、「1日極限まで脳を使い、たくさんのことをやって疲れたな」という実感がある。

もちろん、同時に「自分はすごいが、もっとできるはずだ」とも思う。

だから、疲れることはあります。

疲れたら、適切に休むだ。

 

疲れるということと、have to なことをやっているときの嫌な感じは本質的に違う。

だから、want to でやりたいことだけをやっているが、一方でやりすぎたら疲れる、そして疲れたら休むという拍子抜けするような真実だ。

「京都とアニメ」

京都アニメーションの作品が好きだ。

元請けの作品はけっこう見ている。

「けいおん」が一時社会現象のようになっていたので、間接的に京アニのことを知っている人も多いのかもしれない。

「たまこまーけっと」、「フルメタル・パニック」、「涼宮ハルヒの憂鬱」、「氷菓」、「中二病でも恋がしたい」、「らき☆すた」、「free」などを見たはずだ。

一部だけなら「無彩限のファントムワールド」「甘城ブリリアントパーク」「境界の彼方」などもみた記憶がある。

最近の作品であれば、「響けユーフォニアム」や、見たわけではないが「聲の形」などだろう。

ただ、一番好きなのは「日常」という作品だ。

一般的にはあまり人気はないようだけど、シュールなショートギャグが面白い。

おすすめです。

 

「どのくらい書いているか」

たとえば昨日、どのくらいの文字をどのくらいの時間かけて書いているのかを思い出してみた。

すると、時間にしてみればだいたい2〜3時間程度で、文字数は推定5000〜6000文字くらいだったように思う。

時間の方はその時間ずっと書き続けているわけではない。

細切れに取り組んだ時間を合計したものだ。

文字数も、このブログのように表に出したものだけではなく、仕事上書いたものまで含める。

 

この時間が長いのかどうかもわからないし、文字数が多いのかどうかもわからない。

しかし、時間はさておきとしても、文字数はもっともっと増やすことができるのではないかと思っている。

これらの指標には現れていないが、文章の質ももっと高められるはずだと感じる。

 

つくづく書くことは自分にとってとても大切なのだなと感じる。

書くことがすなわち生きること、と言ったら大げさかもしれないが、それに近いものを感じる。

書く楽しさを人に伝えていくことも、自分のゴールのひとつだ。

「印象派」

フランス象徴主義の詩人にかぶれた時期があった。

シャルル・ボードレール、アルチュール・ランボー、ステファヌ・マラルメ、ポール・ヴァレリーなどを読んだ記憶がある。

その内容のほとんどはもう忘れてしまったが、美しい文章だったことは記憶している。

もう読むことはないのかもしれないが、その時期出来上がった感覚はおそらく生涯の財産になるだろうと思う。

 

「積まれた本」

Amazonで注文をしていた池谷義紀「webサイト構築&運営がわかる本」が到着した。

ワードプレスを使って自分のwebサイトは運営してきたが、「構築、運営」という観点から全体を捉え直したいと思うようになり、読むことにした。

webサイトに限らず、「何か物事を用意するための全体像の作り方」という意識で読んでみたいと思っている。

 

この本に限らず、読むために揃えている本がたくさんある。

こんなときよく考えるのが、「これらの本の内容は、未来の自分であれば当然吸収しているはずのものだ」ということだ。

そう考えながら、嬉しい気持ちに浸っている。

「グレインサイズの高め方」

苫米地英人「グレインサイズの高め方」を再読。

何度も読んでいる本だ。

何度も読むということは、そこに大事なことが書いてあると感じていたからだ。

しかし、なぜかこの本は「なんとなくわかるのだが、いまいちしっくりこない」という時間が長かった。

今回読み返してみると、「ああ、こういうことを伝えようとしていたのか」と、かなり腑に落ちる感覚があった。

なぜだろうか。

おそらく、最近になっていろいろと取り組んでいる仕事の中で持っていた問題意識と、本の内容がリンクしたからだと思う。

つまり、こちらの問題だ。

自分が成長したからこそ本の内容がよく入ってくるということだろう。

「money money money」

確定申告がだんだんと近づいてきた。

今年は、フリーランスが関わる税金について改めて体系的に勉強を進めている。

なので、いままでよりももっと精密に、そして今後の戦略につながるような形で税金を納める準備をしていきたいと思っている。

そのために、今年記帳していたものをすべて洗い出し、整理しながら全体を見るという作業をはじめた。

かつてであれば面倒くさい作業でしかなかった確定申告が、ゴール設定によって重要性があがると、楽しい学びの機会になってくるわけだから不思議なものだ。

けっこう時間のかかる作業だが、地道にやっていこうと思う。