「人との出会い」

東京に来て、毎日、人と会っている。

どのような相手であったとしても、何か得るものがある。

自分が物事を教えてもらっている相手であれば当然だが、自分が何かを伝える相手であっても同様だ。

なぜだろうか。

それはゴールからくるセルフイメージによるものだと考えている。

私のセルフイメージには「出会う人すべてから何かを学ぶことのできる自分」というものがある。

人はセルフイメージ通りの行動しかできない。

だから、どのような出会いであれ、何かを学んでしまうのだ。

いきなりこのようなセルフイメージを持っていたかといえば、決してそういうわけではない。

セルフトークをマネジメントし、意図的に作り込んだのだ。

一般に、ゴールの世界の自分を前提として、肯定的な方向へとマネジメントされたセルフトークをアファメーションと呼ぶ。

アファメーションとは、セルフトークの全部ではないが、一部だ。

アファメーションを用いて、私はそのようなセルフイメージを作ったのだ。

 

セルフトーク(self-talk) ⊇  アファメーション(affirmation)

セルフイメージ(self-image)

行動(behavior)

 

これを覚えておくといいだろう。

「事務所に堆積した音楽『場』」

とある事務所に来ている。

そこで音楽を聴いていて、気がついたことがある。

場所を変えて聴いた音楽は、違うものに聴こえるということだ。

それは、スピーカーが良いとか、アンプが上等だとかいった話をしているのではない。

もちろんそれもあるだろうが、もっと広い意味合いでの話だ。

その事務所である音楽が長い間聴かれていたという事実があるとする。

そして、その音楽は「その音楽を聴きたい」という能動的な形で聴かれていたとする。

これは当たり前だろう。

聴きたくないという形で音楽が聴かれることは少ないはずだ。

そうすると、そこには、その音楽が「聴かれる」ために最適な情報が積み上がっていく。

それは、オーディオのちょっとした設定や配置かもしれないし、その部屋にあるその他のもの、あるいは、もっと観念的な気配や気なども関わっているのかもしれない。

あまり広げすぎると話がオカルトめいてくるが、要するに、ありとあらゆる情報が、その音楽を聴きたいという欲求のもと最適化されているということだ。

もちろんそれは、その場にいる「聴く主体者にとって」の最適化ではある。

しかし、その音楽のひとつの「聴き方」のよい模範となることは確かだ。

だから、場に行き、自分の体をその場のあり方に預けてみると、それまでよさがわからなかった音楽の、新しい魅力が伝わってきたりする。

その場に情報として積み上がっている、その音楽に対する聴き方に触れることで、自分の感じ方が変わるのだ。

それは、自分だけではなかなか到達することのできない世界だ。

これを読んでいるみなさんも、自分の何かを変えようとするのなら、ぜひとも「場」に行ってみるということを押すすめする。

新しい感覚がつかめるはずだ。

ただし、本当に自分の中にその感覚を定着させようとするのなら、それなりのリソースがいるかもしれない。

一瞬で受け入れるだけの度量か、あるいは、じわじわと受け入れていくための時間といったところだろうか。

「論理の罠」

一般に、論理的であることはよいことであるとされる。

しかし、デメリットはないのだろうか。

私は最近、論理的であるがゆえのデメリットをよく実感する。

それは、論理が思考の可能性を制限するということだ。

論理的であるということは、思考に対してある一定の筋道を与えるということだ。

その筋道がある程度妥当なものであるとすれば、その結論は真に近いと考える。

しかし、筋道を与えていくということは、筋道から排除されるものがあるということを意味する。

それにより、当然のことながら、見えないものが生まれる。

 

では、論理的でないほうがいいのだろうか。

論理的の反対は、感覚的であると言うが、感覚的であるほうがいいのだろうか。

それはそれで短絡であろう。

なぜなら、論理を否定する形での感覚は、単なる無秩序状態であり、いわばなんでもありの状態だ。

そんな状態でよい議論ができるはずがない。

 

そうなると、論理的であることを前提として、論理的であるあり方そのものを俯瞰し、その論理の筋道から排除されたものを同時に観察する態度を維持することがよさそうだ。

論理的な筋道を、ひとつ上の抽象度から眺める視点を持つ、と言い換えることもできるだろう。

そして、その「ひとつ上」には「さらに上」があり、それは事実上無限に続く。

そのような階層を想定しながら、一望俯瞰的に認識し、適宜もっとも良い階層を選択することが望ましい。

「本音」

なかなか本音を言えなくて困っているという人がいる。

では、そういう人をどのように導いてあげるのかという話になる。

「本音で言えばいいじゃん」とだけ言い切ってしまうのは、乱暴な話だろう。

そこで、本音が言えない人のマインドのメカニズムを分析し、それに基づいた対処法を書いた。

一朝一夕では変わらないかもしれないが、本質的な変化を求める人にはおすすめだ。

 

本音を言えない人のための心理学

「仕事の最適化」

最近よく考えている、仕事の最適化についてだ。

ゲシュタルト(認識のまとまり)を意識して、最適な形に設計し、無意識化する。

簡単に言えば、仕事の最適化とはこれだけだ。

表現してしまえば一文で終わってしまうのだが、これが実に奥が深い。

ありとあらゆる大小のゲシュタルトが存在し、それらを最適な形にしていく必要があるからだ。

しかも、最適化した一瞬あとには、さらによりよい最適化の可能性が出てくる。

常に物事は流動的であり、一瞬一瞬に新しい状況が生まれてくるからだ。

状況が変われば、最適な形が変わるのも当然だろう。

そこで、「リミット」を考える必要が出てくる。

リミットとは、要するに締め切りのことだ。

締め切りがあるから、そこで最適化をやめるという判断が出てくる。

もし、締め切りがなければ、永遠に最適化をしなければならない。

 

リミットと最適化のせめぎ合いを、さらにひとつ上の抽象度から観察し、設計をしていく。

そんなことを考えながら、日々の仕事をこなしているが、まだまだ工夫の余地がありそうで楽しくなってくる。

「いじめ」

大人になってまで、いじめをしている人がいる。

救いようのないことだと思う。

いじめられていると感じる人は、他人を頼りましょう。

いじめられていると感じないけれど、なんだかつらいと感じる人は、自分の身になにが起きているのかを知るために、他人に頼りましょう。

 

他人を通してわかる自分のことはほんとうに多い。

他人と関わることではじめて、自分の面している危機や、その裏側として可能性を知れることもある。

その際の他人とは、現状の外側の他人であってほしい。

現状の内側にいる他人と関わりを深めても、いままでの自分のスコトーマを強化するおそれがあるからだ。

 

職場のいじめに疲れた人が意識するべき大切なこと

「freedom」

毎日毎日、世の中知らないことばかりだなと感じる。

知らないことに触れると、知らなかったのではなく、受け入れてなかったのだなと思うことが多い。

いかにブリーフに縛られ、自分の可能性を縛ってるのかを痛感させられる。

コーチとして活動し、それなりに経験も積んできているのにも関わらず、まだまだ歯がゆく思うことも多い。

いや、コーチだからこそ、よりそう思うのかもしれない。

ただしそれは、決してネガティブなものではない。

自分に対する expectation (期待) がゆえのことだ。

自分にはもっと可能性があると確信しているからこそ、その反作用としてじれったく思うことがたくさんあるということだ。

 

特に、人との関わりの中でそれを感じることが多い。

世の中には自分の知らないことを知り、経験してきている人がほんとうにたくさんいる。

そういう人と出会うと、素直に敬意を抱くし、何かそこから学ばせてもらおうという気持になる。

こういうところは、自分の性格の中でも最も気に入っているところだ。

 

来年はいままでの人生の中で最も多くの人と出会うと決めている。

その中で、自分がどのように変化・成長していくのか、ほんとうに楽しみだ。

「アカデミーヒルズ」

今日は六本木にある、六本木ヒルズ49階にあるアカデミーヒルズに行ってきた。

プレゼンテーションに関するセミナーを受講するためだ。

プレゼンテーションをどのように表現していくかというもので、実に参考になった。

もちろん、内容によっては、すでに自覚的に取り組んでいるようなものもたくさんあったが、やはり専門家から全体像とともに学ぶことに深い意味がある。

自分が持っていた部分情報も、全体像の中に組み込まれることにより、新たに違った見え方がしてくるものだ。

 

終わってから知ったのだが、そのフロアは、ルー・タイスが日本で初めてセミナーを行った場所だったそうだ。

なんとなく、感慨深いものを感じた。

「to TOKYO」

東京に向かっている。

 

東京に行く際、いつも利用するのは「ぷらっとこだま」だ。

新幹線「こだま」なので、各駅停車で、新大阪から東京まで4時間かかる。

しかし、出発日よりも早めの予約さえ問題なければ、グリーン車が11800円で予約できる。

これは「ひかり」や「のぞみ」の指定席よりも安い値段だ。

 

たいていの場合、席はガラガラで、いまも同一車両内に10人も座っていない。

当然のことながら、静かだ。

聞こえてくるのは、たまに流れる車内放送と、新幹線が風を切る音くらいのものだ。

また、シートはどっしりとして厚く、照明も自由席や指定席と比べて落ち着いて温かみのあるトーンだ。

非常に居心地のいい空間だ。

 

私はこの場を書斎だと考えて活用している。

読書や、資料作成、スケジュール作成、仮眠など、ゆったりとした時間を過ごす。

もちろん、食事をとったりもする。

そんな過ごし方をしていると、一人の移動であっても、4時間なんてあっという間に過ぎてしまう。

 

新大阪〜東京間を移動する人にはおすすめだ。

 

「Haruki Murakami」

http://村上春樹さん、来年2月に4年ぶり長編小説 全2冊

 

昔から小説が好きでよく読んでいたが、最近では、ほとんど読まなくなってしまった。

小説以外の読むべき本がたくさんあるからだ。

そんな中、唯一新作を心待ちにしている作家が村上春樹だ。

ついに長篇が出るそうだ。

物語に浸る準備をしておこう。