「岐阜から帰る新幹線の中にて」

今日は岐阜で講演会だった。

保護者の立場の方を中心とした、約80人の前で話をしてきた。

子育ての場面での「怒り」の感情をどのようにコントロールしていくか、というテーマで話をした。

そして、参加者に少しでも体感を持ち帰ってもらえるように、ワークをたくさん用意した。

これがなかなか良かったのではないかと思う。

 

もちろん、個人的にはまだまだ自分の出来に満足がいかない。

人前で話すということにも、感覚があり、技術があり、知識があり、そして当然うまいへたがある。

今日も自分の課題がたくさん見つかった。

こういう課題は、今日のような「場」を経験する中でしかわからないことなので、主催の方、参加していただいた方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

ありがとうございます。

「コーチングに対する質問」

「コーチングを受けるとどうなるのですか?」という質問をされることがある。

もちろん相手によって答えは変わるが、少し前にした返答としては「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということだ。

 

冷たい表現に聞こえるかもしれない。

「コーチングってそんな突き放したものなんですか」

そう思うかもしれない。

しかし、とんでもない話だ。

こんなに相手のためになることを意図した商品ってなかなかないんじゃないかと思う。

 

「コーチングを受けたらどうなるのですか」という疑問の裏側には、多くの場合、「コーチングを受けることで自分をどうにかしてほしい」という前提がある。

もっと言えばそれは、「自分には何もどうにもできない」というエフィカシーの低さの現れである。

そもそもエフィカシーが高く、自分で自分の価値を定め、自分で行動し、自分で状況を変えようという意識の人は、「コーチングになんとかしてもらおう」という発想は持たない。

 

成熟した大人とは、自分のことは責任を持って自分で決め、世界を変えるために自分を成長させながら働きかけていくという人だ。

私がクライアントに望むのは、そういう境地であり、自らもそうあろうと決めている。

そういう人は「コーチングを受けたらどうなりますか」という発想は持たない。

「コーチングを受けて、自分はこうなろう」と発想するはずだ。

 

とはいうものの、いきなりそのような境地に達するのは、なかなか難しいだろう。

いままで数多くのドリームキラー達に囲まれ、自己評価を下げられてきた人であればなおさらだ。

私はそういった人の気持ちがすごくわかる。

なぜなら、私自身がまさにそういう人間だったと自覚しているからだ。

なぜ私が立ち直り、コーチになるにいたったのか。

それは、私の横にコーチがいて、私が過去に蓄積してきたブリーフをひっくり返してくれるような関わり方をしてくれたからだ。

ある時は辛抱強く、ある時は一瞬で、言語、非言語の両側からそれは行われた。

自分の足で立つことを心から信じ、接し続けてくれた。

 

だから、コーチとしての私の仕事はとてもシンプルで、相手が自分の足で立てる人であると信じることだ。

それを前提として、冒頭の質問を読み替えてほしい。

「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということは、「あなたは自分で自分のことを決められる人間になりますよ」ということだ。

『やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中』

私の体感では、やりたいことが見つからなくて困っている人というのはけっこう多いように思う。

一方で、やりたいことがありすぎて困る、という人もいる。

どうしてそういうことになってしまうのかという問題意識で書いた記事だ。

ありすぎるやりたいことは、「ほんとうに」あなたのやりたいことなのか、という視点を提示している。

 

やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中

 

ちなみに、検討した上で、ありすぎるやりたいことはすべて「ほんとうに」やりたいことでしたという場合はどうすればいいのか。

先日の記事「仕事の能率」や、「何に対しても焦りやすい、パニックになりがちな人が持つべきプリンシプル」を参考にしてもらいたい。

「資料作成」

明日は、岐阜で講演会がある。

かねてから懇意にしているお医者によんでもらった。

そのための資料作成がいよいよ大詰めになっている。

といっても、もうほとんど仕上がっていて、あとは最終調整を少しするくらいのものだ。

 

50分という比較的短い持ち時間であり、相手が一般の方なので、さほど高度なことは話さない。

それゆえ、資料もA4一枚に収まった。

 

サイズはどうあれ、資料に落とし込む能力は、以前よりも格段に高まったと感じる。

質はもちろんだか、かける時間の違いが顕著だ。

もちろん、時間が短縮されたということだ。

でも、まだまだ改善できると思う。

「コーチングを受けて何が変わったのか」

コーチングを受けて何が変わったのか、について書いてみよう。

もちろんこれは、私のことだ。

おそらく、すべて書くときりがないので、いま思いつくものをいくつか書くことにする。

 

・やりたいことだけをやる毎日になった

これは間違いなくそうだと言える。

これは、物理的制約がなくなって自由な時間が増えたという意味ではない。

私はそもそもが、時間的拘束の少ない生活をしていたので、自由な時間はたくさんあった。

しかし、自由になる時間が多いということと、やりたいことができているというのは全く別の話なのだ。

なぜかとえいえば、やりたいことができないというのは、マインドの問題であり、時間的拘束の問題ではないからだ。

つまり、マインドがやりたいことだけをやるような状態になれば、どのような状況であれそうなるということだ。

コーチングの技術でそれが可能になる。

 

・生産性が上がり、収入が上がった

これは先ほどあげたことから、ある程度妥当な結果として導き出されるだろう。

なぜなら、やりたいことをやっているのだから生産性が上がるに決まっているし、それが金銭と結びつけば、収入が上がるのも不思議ではない。

 

・頭が良くなった

以前から知的労働に従事していて、いかに頭をよくするかに心を砕いていた。

コーチングを受け、自分でも実践したことで、以前の自分よりもはるかにレベルアップできたという手応えがある。

コーチングの理論によれば、やりたいことをやっているときが、最も脳が活性化するからだ。

その状態を繰り返せば、頭がよくなるのが普通だ。

 

・感情的に安定した

これも劇的な変化があった。

もともと感情を強く表に出すようなタイプではなかったが、内面ではいろいろと感情の激しい動きがあったように思う。

しかし、これもまたコーチングを受け、実践することで、安定していった。

もちろん、感情がなくなったわけではない。

感情に振り回されることがなくなったということだ。

だからこそ、生産性も上がるし、だからこそ収入にも関係してくるというように、良いサイクルができていった。

 

他にもいろいろとあるが、このくらいにしておこう。

特筆すべきは、これらの変化が私に特有のことではないということだ。

つまり、正しくコーチングが機能すれば、誰にでも生じるということだ。

理由は簡単で、私が受け、実践し、そして今は提供しているコーチングが科学的根拠に基づいているからだ。

科学の要件は再現性があることである。

誰でもそのとおりになる、ということだ。

 

参考になれば嬉しい。

『君も年収1億円プレーヤーになれる』

苫米地英人『君も年収1億円プレーヤーになれる』を読んだ。

久しぶりに読み返してみると、たくさんの発見があった。

最近はこの本以外にもビジネス書を多く読んでいる。

多くのビジネス書には共通して抱える「集団的」スコトーマがある(それが何かは科学のパラダイムに関係がある)。

それを外すためにこの部分は書かれたのだな、というような読み方が、今回の読書できた。

 

どんな本も他の本の知識と無関係に成立しているわけではない。

ということで、最近はコーチング以外の本をたくさん読むことにしている。

知識自体も増えるし、自分の持つ知識の検証を通して、その強度や確信度が高まる。

『創造と変革の志士たちへ』

堀義人「創造と変革の志士たちへ」を読んだ。

グロービズ経営大学院の学長だ。

MBAで学ぶようなフレームワークと、陽明学や松下村塾の教え、囲碁の考え方など、日本古来に見られるフレームワークを使って、リーダーの要件とその身につけ方を説いていた。

見えている課題や、市場に対する分析の仕方などは、非常に洗練されていると感じた。

しかし、現状を超えた大きなビジョンやミッション、あるいはモチベーションに関する記述などは、多くが経験則で、効果的なモデルがあるように感じなかった。

必然的に、「志、努力、情熱、執着」といったエモーショナルな表現が目立ち、全体としていささか精神論めいたものに見えた。

コーチングでは

・現状とは何か

・現状を超えるとはどういう状態か

・ゴールとは何か

・モチベーションとは何か

・モチベーションとはどうすれば生まれるのか

なとが、科学的に定義に基づいて厳密に扱う。

それは、マインドをモデル化しようとした認知科学の成果からくるものだ。

この点が多くのビジネス書に欠けているところであり、コーチングのバリューであると改めて感じた。

「妖 -あやかし-」

京極夏彦に出会ったのは、日本の新本格ミステリーに耽溺していたころだった。

異様な装丁から漂う妖気は、一作目からしてすでに尋常ではなかった。

「姑獲鳥の夏」

読み終わり、こんなすごい作家がいるのか、と驚いた。

メインキャラの「京極堂」こと中禅寺秋彦は、憑き物落としと言われる作業を行いながら、キャラクターに憑いた妖を祓い、物語の謎解きをする。

なんだかコーチに似ていませんか。

わたしたちは、その人にとって望ましくないブリーフを祓うのです。

 

京極夏彦の作品は、やたらと長いことで知られる。

だから、たくさん出版されている作品の中でも、実際には5作しか読んでいない。

すべて読み尽くすほどの気合いはまだない。

「パンとニンニクたっぷりちゃんぽん麺」

自宅の窓を開けると見えるくらいの距離に、天然酵母使用を売りにしているパン屋がある。

近づくとパンのいい匂いがしてくる。

 

ところが、その15メートルほど手前には、「ニンニクたっぷりちゃんぽん麺」の店がある。

そこを通過するときは、もちろん、にんにくの匂いがする。

これはこれでいい匂いではあるのだが、少々主張が強いと感じることが多い。

 

ニンニクからパンの匂いへと、ちょうど切り替わるあたりがあり、それは日によって、時間によって変わる。

その瞬間を探りつつ、二つの店を通過するのが密かな楽しみになっている。

こういう「場」の切り替わりへの鋭敏さは、コーチングの能力アップにも貢献するのではないだろうか。

「あ、この人はいま現状からゴール側へコンフォートゾーンが切り替わりった」

こんなものの見方ができるようになるかもしれない。