「コーチングを受けるとどうなるのですか?」という質問をされることがある。
もちろん相手によって答えは変わるが、少し前にした返答としては「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということだ。
冷たい表現に聞こえるかもしれない。
「コーチングってそんな突き放したものなんですか」
そう思うかもしれない。
しかし、とんでもない話だ。
こんなに相手のためになることを意図した商品ってなかなかないんじゃないかと思う。
「コーチングを受けたらどうなるのですか」という疑問の裏側には、多くの場合、「コーチングを受けることで自分をどうにかしてほしい」という前提がある。
もっと言えばそれは、「自分には何もどうにもできない」というエフィカシーの低さの現れである。
そもそもエフィカシーが高く、自分で自分の価値を定め、自分で行動し、自分で状況を変えようという意識の人は、「コーチングになんとかしてもらおう」という発想は持たない。
成熟した大人とは、自分のことは責任を持って自分で決め、世界を変えるために自分を成長させながら働きかけていくという人だ。
私がクライアントに望むのは、そういう境地であり、自らもそうあろうと決めている。
そういう人は「コーチングを受けたらどうなりますか」という発想は持たない。
「コーチングを受けて、自分はこうなろう」と発想するはずだ。
とはいうものの、いきなりそのような境地に達するのは、なかなか難しいだろう。
いままで数多くのドリームキラー達に囲まれ、自己評価を下げられてきた人であればなおさらだ。
私はそういった人の気持ちがすごくわかる。
なぜなら、私自身がまさにそういう人間だったと自覚しているからだ。
なぜ私が立ち直り、コーチになるにいたったのか。
それは、私の横にコーチがいて、私が過去に蓄積してきたブリーフをひっくり返してくれるような関わり方をしてくれたからだ。
ある時は辛抱強く、ある時は一瞬で、言語、非言語の両側からそれは行われた。
自分の足で立つことを心から信じ、接し続けてくれた。
だから、コーチとしての私の仕事はとてもシンプルで、相手が自分の足で立てる人であると信じることだ。
それを前提として、冒頭の質問を読み替えてほしい。
「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということは、「あなたは自分で自分のことを決められる人間になりますよ」ということだ。