「行動の源」

行動(behavior)がある。

たとえば、「人前でギターをひくのをやめておく」。

これは行動だ。

 

では行動がどのように生まれるか教えよう。

行動は、セルフイメージ(self-image)から生まれる。

セルフイメージとは、自分で自分のことをどう思っているかのことだ。

「自分はギターが下手くそだ」などだ。

 

では、セルフイメージはどのように形成されるのか。

セルフイメージは、セルフトーク(self-talk)から生まれる。

セルフトークとは、自分にかける言葉のことだ。

「(失敗して)またやっちゃった、やっぱり自分はギターが下手だなあ」などだ。

 

まとめよう。

 

セルフトーク

セルフイメージ

行動

 

となる。

多くの人は、行動を変えたいわけだ。

そして、無理やり行動を変えて、つらい思いをしてしまう。

無理やり人前でギターを弾こうとする。

そして嫌になってやめる。

 

私たちの提供するコーチングは、そういったやり方を採用しない。

効果的な方法をとる。

まずは、セルフトークを変える。

「私はギターを上手に弾く人間だ」

こう自分に語りかけよう。

「コンフォートゾーンを広げる」

コンフォートゾーンが広がる(を移動させる)ことがゴール達成には不可欠だ。

どの方向へと広げるかはゴールが決めるわけだが、とにかく広げていく必要がある。

そのためには、ルー・タイスが言っているように、アファメーションのプロセスを用いる。

あらかじめ、マインドの中でコンフォートゾーンを広げていくというアプローチだ。

これは極めて有効だ。

有効であり、安全だ。

 

一方で取り組みたいのが、コンフォートゾーンになっておくべき、それでいて不慣れな場所にさっさと行ってしまうということだ。

これは、肉体が拒絶反応を起こす(緊張したり、嫌な気分になったり、行かなくてもいい理由を思い浮かべたり)ので、少し抵抗がある。

しかし、その抵抗を大きなゴールから解釈すれば、嬉しいこととして処理することは可能だ。

実際にそういう行動をとれば、コンフォートゾーンは広がる。

 

私も日々、不慣れなところへと入っていくチャンスをうかがいながら生活している。

そして見つけたら、なるべく入ってみることにしている。

 

『教育のプロが教える、子どもを信じることができる親のメンタリティ』

怒りに振り回されるとか、子供を信じてあげることができなくて辛いとか、感情の問題はたくさんある。

その際には、問題の側に働きかけることを止めてみるといいだろう。

怒りを引き起こした嫌な出来事を変えようとするとか、信じることのできない子供の行動を矯正するということを止めてみるということだ。

結局、そういった問題の側は単なるきっかけに過ぎず、反応しているのは自分の心だからだ。

外側の問題は論理的に解決を促しつつ、こだわり過ぎないほうがいい。

自分の心の側のスコトーマが強化されてしまう。

まずは自分の心に目を向けて、分析をしてみる。

そうすることで、かえって本質的な解決が見出せるだろう。

一般的に言えばそういう主張だが、それを「子供を信じる」という状況の中で伝えようと書いた記事がこちらだ。

私たちはルー・タイスが残してくれた、

『All meaningful, lasting growth and change starts first on the inside and then works its way out.』

というプリンシプルに、何度も立ち返る必要がある。

 

教育のプロが教える、子どもを信じることができる親のメンタリティ

「渋谷系」

最近のマイブームは、渋谷系の音楽だ。

渋谷系とは90年代に流行した、渋谷の特定地域を発祥とする音楽群の総称だ。

ジャンルとしてというよりも、一つのムーブメントとしての呼称であると考えたほうがよいようだ。

その証拠に、渋谷系に内包されるジャンルは実に多岐に渡っている。

とはいうものの、一般的には、フリッパーズギターなどのネオアコのイメージだろう。

 

実は私は、90年代にはあまり渋谷系の音楽を好んで聴いてはいなかった。

そのころも音楽は好きだったが、どちらかといえば、パンクやハードコア、メロコア、スカといったストレートでアッパーな音楽が好きだった。

文学や哲学、アニメなどは、比較的と「内にこもる」ような作品が好きだったのだが、音楽はそうではなかった。

過剰で、エネルギッシュで、いろいろなものを吹き飛ばしてくれるようなサウンドに心惹かれていた。

 

とはいうものの、ビッグヒットを飛ばした小沢健二(フリッパーズギターの片割れ、もう一人は小山田圭吾)の活躍や、あるいは、音楽以外のカルチャー全般の中にちらちらと登場する渋谷系というワードなどを通し、なんとなく気になっていたのは事実だ。

そういう意味では、隣のクラスの気になる女の子みたいな位置付けだった。

そして、声をかけずに卒業してしまった。

 

なぜ今になって渋谷系の音楽を掘り始めたのかは、よくわからない。

たぶんここ数年の世の中の全体が、90年代のリバイバルみたいな方向へ向かっているからだと思う(実際、ファッションの今シーズンのトレンドは明らかに90年代を反映している)。

理由はともかくとして、いま私が90年代の音楽に親しむ感覚には、なんともいえないものがある。

ずっと心に引っかかっていたつかえがとれるようなカタルシスもあるし、自分が成長し、大人になったという感慨もある。

体験すべきだったことを永遠に損なってしまい、それでもなんとか残骸をかき集めて復元しようとしている、そんな感覚もある。

 

そしてまた同時に、そういった種々のノスタルジーを超克してしまいたいという欲求もある。

これは私が、コーチという特殊な職業に従事しているからかもしれない。

 

 

「岐阜から帰る新幹線の中にて」

今日は岐阜で講演会だった。

保護者の立場の方を中心とした、約80人の前で話をしてきた。

子育ての場面での「怒り」の感情をどのようにコントロールしていくか、というテーマで話をした。

そして、参加者に少しでも体感を持ち帰ってもらえるように、ワークをたくさん用意した。

これがなかなか良かったのではないかと思う。

 

もちろん、個人的にはまだまだ自分の出来に満足がいかない。

人前で話すということにも、感覚があり、技術があり、知識があり、そして当然うまいへたがある。

今日も自分の課題がたくさん見つかった。

こういう課題は、今日のような「場」を経験する中でしかわからないことなので、主催の方、参加していただいた方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

ありがとうございます。

「論理、言語について」

現代ほど、言語運用能力が重要になっている時代はないのではないだろうか。

根拠は単純で、書く機会が爆発的に多くなっているからだ。

書くためには、読む、話す、聞くにもまして、論理性が重要となる。

しかし残念なことに、日本の公教育の中でそれを期待することが難しいのが現状だ。

なぜなら、日本の国語教育は、相変わらず文章の「解釈」もっと遠慮なく言えば「感想」に終始しているからだ。

文部科学省の小学校学習指導要綱を読んでみると、「論理性」「適切な表現」「正確な理解」「伝え合う力」「思考力」「想像力」を身につけることを目的としているようだ。

しかし、これらを満たした状態が「具体的に」どういうものなのかは、定義されていない。

結果的に、文章を主観的に捉える側面だけを助長するような、極めて偏った指導が横行してしまっていると感じる。

もちろんそこでは、文章を「なるべく」客観的に捉え、自分の意見を論理的に構築し、言語表現に落とすという指導は期待できるはずもない。

このように考えていくと、日本人の生産性を上げるためには、国語教育を改善することが望ましいとわかる。

そこまで大げさな話でなくとも、まっとうなビジネスパーソンであれば、言語運用能力を高めていこうという意識的努力はあってしかるべきだ。

そのような問題意識で、記事を書いたのが、以下に紹介するものだ。

私がいままでやってきた、論理、言語を鍛えるアプローチの一部を紹介している。

まだ記事にしたことはないが、ここに「トゥールミン・ロジック」の訓練が加われば、なおいいだろう。

 

身も蓋もないから誰も言わない、文章力を上げるためのトレーニング法

論理的思考力(ロジカルシンキング)を鍛える第一歩

文章力講座〜多くの人に届く文章の設計方法

「饒舌な制作会社のディレクター」

菊地成孔が好きで、今もよく彼の音楽やラジオ(粋な夜電波)を聴く。

最近は、彼が90年代から00年代初頭までやっていたバンド「スパンクハッピー」がお気に入りだ。

特に、「岩沢瞳」在籍時のサウンドが、華美で空っぽな80年代の感じが出ていてよい。

本人は、ファッションショー時にモデルが合わせてウォーキングをする音楽(彼はそれをウォーキング・ミュージックと定義した)をベースにしたものだと語っていた。

 

けっこう昔のことになるが、菊地成孔のライブを、「ビルボード大阪」(当時は「ブルー・ノート大阪」に観にいったことがある。

確か5人くらいのジャズ・コンボだった。

官能的に輝くサックスの音色と、演奏の合間にシャネルの香水を宙に振りまく菊地成孔の手首が印象的だった。

 

演奏の合間に、隣にいた中年の男性に声をかけられた。

テレビ番組の制作会社に勤めていると言ったその人物は、やたらと饒舌に、菊地成孔がいかに素晴らしいアーティストであるかを私に語った。

特に拒絶する必要も感じなかったので、私は黙って彼の話を聞いていた。

演奏終了後、私たちは連絡先を交換して別れた。

 

その直後私は、タイに行った。

一人でバックパックを背負って、3週間ほど暑い国をまわった。

バンコク市内に、バックパッカーが集う街に「カオサン」ということろがある。

ある朝、カオサンのネットカフェにて、久しぶりにメールを開いた。

すると、例の男性から連絡がきていた。

短い謝辞のあと、「私が好きそうな」推薦アーティストが列挙されていた。

そしてそのリストには、200以上のアーティスト名が並んでいた。

 

少々面食らったが、私は男性に興味が出たので、帰国したら食事でもしませんか、と返信をしておいた。

しかし、それっきり連絡がこなくなってしまった。

 

あれからもう何年も経ってしまったが、何かの折に連絡が返ってこないかと思っている。

「食事の件ですが、念のため店をピックアップしました」などというタイトルで、長い長いリストが送られてくればとても愉快だ。

そのときは、一番オススメの店はどれですか、などという野暮な質問はしないでおこうと思う。

「コーチングに対する質問」

「コーチングを受けるとどうなるのですか?」という質問をされることがある。

もちろん相手によって答えは変わるが、少し前にした返答としては「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということだ。

 

冷たい表現に聞こえるかもしれない。

「コーチングってそんな突き放したものなんですか」

そう思うかもしれない。

しかし、とんでもない話だ。

こんなに相手のためになることを意図した商品ってなかなかないんじゃないかと思う。

 

「コーチングを受けたらどうなるのですか」という疑問の裏側には、多くの場合、「コーチングを受けることで自分をどうにかしてほしい」という前提がある。

もっと言えばそれは、「自分には何もどうにもできない」というエフィカシーの低さの現れである。

そもそもエフィカシーが高く、自分で自分の価値を定め、自分で行動し、自分で状況を変えようという意識の人は、「コーチングになんとかしてもらおう」という発想は持たない。

 

成熟した大人とは、自分のことは責任を持って自分で決め、世界を変えるために自分を成長させながら働きかけていくという人だ。

私がクライアントに望むのは、そういう境地であり、自らもそうあろうと決めている。

そういう人は「コーチングを受けたらどうなりますか」という発想は持たない。

「コーチングを受けて、自分はこうなろう」と発想するはずだ。

 

とはいうものの、いきなりそのような境地に達するのは、なかなか難しいだろう。

いままで数多くのドリームキラー達に囲まれ、自己評価を下げられてきた人であればなおさらだ。

私はそういった人の気持ちがすごくわかる。

なぜなら、私自身がまさにそういう人間だったと自覚しているからだ。

なぜ私が立ち直り、コーチになるにいたったのか。

それは、私の横にコーチがいて、私が過去に蓄積してきたブリーフをひっくり返してくれるような関わり方をしてくれたからだ。

ある時は辛抱強く、ある時は一瞬で、言語、非言語の両側からそれは行われた。

自分の足で立つことを心から信じ、接し続けてくれた。

 

だから、コーチとしての私の仕事はとてもシンプルで、相手が自分の足で立てる人であると信じることだ。

それを前提として、冒頭の質問を読み替えてほしい。

「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということは、「あなたは自分で自分のことを決められる人間になりますよ」ということだ。

「野菜、その後」

少し前に、実家から大量の野菜が送られてきた話を書いた。

やっと終わりが見えてきた感じだ。

たまねぎ一つ、ジャガイモ二つ、サツマイモ三つと、白菜が四分の一くらい残っている。

あとは、柚子のはちみつ漬けも三分の一くらいか。

野菜の値段は結構バカにならないのでありがたいのだが、とにかく量が多くて、大変だった。

仕事が忙しく、なかなか人に会うタイミングがなかったので、あげるという選択もできなかった。

とりあえず、今日は白菜と決着をつけようと思っている。

 

『やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中』

私の体感では、やりたいことが見つからなくて困っている人というのはけっこう多いように思う。

一方で、やりたいことがありすぎて困る、という人もいる。

どうしてそういうことになってしまうのかという問題意識で書いた記事だ。

ありすぎるやりたいことは、「ほんとうに」あなたのやりたいことなのか、という視点を提示している。

 

やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中

 

ちなみに、検討した上で、ありすぎるやりたいことはすべて「ほんとうに」やりたいことでしたという場合はどうすればいいのか。

先日の記事「仕事の能率」や、「何に対しても焦りやすい、パニックになりがちな人が持つべきプリンシプル」を参考にしてもらいたい。