「岐阜から帰る新幹線の中にて」

今日は岐阜で講演会だった。

保護者の立場の方を中心とした、約80人の前で話をしてきた。

子育ての場面での「怒り」の感情をどのようにコントロールしていくか、というテーマで話をした。

そして、参加者に少しでも体感を持ち帰ってもらえるように、ワークをたくさん用意した。

これがなかなか良かったのではないかと思う。

 

もちろん、個人的にはまだまだ自分の出来に満足がいかない。

人前で話すということにも、感覚があり、技術があり、知識があり、そして当然うまいへたがある。

今日も自分の課題がたくさん見つかった。

こういう課題は、今日のような「場」を経験する中でしかわからないことなので、主催の方、参加していただいた方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

ありがとうございます。

「論理、言語について」

現代ほど、言語運用能力が重要になっている時代はないのではないだろうか。

根拠は単純で、書く機会が爆発的に多くなっているからだ。

書くためには、読む、話す、聞くにもまして、論理性が重要となる。

しかし残念なことに、日本の公教育の中でそれを期待することが難しいのが現状だ。

なぜなら、日本の国語教育は、相変わらず文章の「解釈」もっと遠慮なく言えば「感想」に終始しているからだ。

文部科学省の小学校学習指導要綱を読んでみると、「論理性」「適切な表現」「正確な理解」「伝え合う力」「思考力」「想像力」を身につけることを目的としているようだ。

しかし、これらを満たした状態が「具体的に」どういうものなのかは、定義されていない。

結果的に、文章を主観的に捉える側面だけを助長するような、極めて偏った指導が横行してしまっていると感じる。

もちろんそこでは、文章を「なるべく」客観的に捉え、自分の意見を論理的に構築し、言語表現に落とすという指導は期待できるはずもない。

このように考えていくと、日本人の生産性を上げるためには、国語教育を改善することが望ましいとわかる。

そこまで大げさな話でなくとも、まっとうなビジネスパーソンであれば、言語運用能力を高めていこうという意識的努力はあってしかるべきだ。

そのような問題意識で、記事を書いたのが、以下に紹介するものだ。

私がいままでやってきた、論理、言語を鍛えるアプローチの一部を紹介している。

まだ記事にしたことはないが、ここに「トゥールミン・ロジック」の訓練が加われば、なおいいだろう。

 

身も蓋もないから誰も言わない、文章力を上げるためのトレーニング法

論理的思考力(ロジカルシンキング)を鍛える第一歩

文章力講座〜多くの人に届く文章の設計方法

「饒舌な制作会社のディレクター」

菊地成孔が好きで、今もよく彼の音楽やラジオ(粋な夜電波)を聴く。

最近は、彼が90年代から00年代初頭までやっていたバンド「スパンクハッピー」がお気に入りだ。

特に、「岩沢瞳」在籍時のサウンドが、華美で空っぽな80年代の感じが出ていてよい。

本人は、ファッションショー時にモデルが合わせてウォーキングをする音楽(彼はそれをウォーキング・ミュージックと定義した)をベースにしたものだと語っていた。

 

けっこう昔のことになるが、菊地成孔のライブを、「ビルボード大阪」(当時は「ブルー・ノート大阪」に観にいったことがある。

確か5人くらいのジャズ・コンボだった。

官能的に輝くサックスの音色と、演奏の合間にシャネルの香水を宙に振りまく菊地成孔の手首が印象的だった。

 

演奏の合間に、隣にいた中年の男性に声をかけられた。

テレビ番組の制作会社に勤めていると言ったその人物は、やたらと饒舌に、菊地成孔がいかに素晴らしいアーティストであるかを私に語った。

特に拒絶する必要も感じなかったので、私は黙って彼の話を聞いていた。

演奏終了後、私たちは連絡先を交換して別れた。

 

その直後私は、タイに行った。

一人でバックパックを背負って、3週間ほど暑い国をまわった。

バンコク市内に、バックパッカーが集う街に「カオサン」ということろがある。

ある朝、カオサンのネットカフェにて、久しぶりにメールを開いた。

すると、例の男性から連絡がきていた。

短い謝辞のあと、「私が好きそうな」推薦アーティストが列挙されていた。

そしてそのリストには、200以上のアーティスト名が並んでいた。

 

少々面食らったが、私は男性に興味が出たので、帰国したら食事でもしませんか、と返信をしておいた。

しかし、それっきり連絡がこなくなってしまった。

 

あれからもう何年も経ってしまったが、何かの折に連絡が返ってこないかと思っている。

「食事の件ですが、念のため店をピックアップしました」などというタイトルで、長い長いリストが送られてくればとても愉快だ。

そのときは、一番オススメの店はどれですか、などという野暮な質問はしないでおこうと思う。

「コーチングに対する質問」

「コーチングを受けるとどうなるのですか?」という質問をされることがある。

もちろん相手によって答えは変わるが、少し前にした返答としては「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということだ。

 

冷たい表現に聞こえるかもしれない。

「コーチングってそんな突き放したものなんですか」

そう思うかもしれない。

しかし、とんでもない話だ。

こんなに相手のためになることを意図した商品ってなかなかないんじゃないかと思う。

 

「コーチングを受けたらどうなるのですか」という疑問の裏側には、多くの場合、「コーチングを受けることで自分をどうにかしてほしい」という前提がある。

もっと言えばそれは、「自分には何もどうにもできない」というエフィカシーの低さの現れである。

そもそもエフィカシーが高く、自分で自分の価値を定め、自分で行動し、自分で状況を変えようという意識の人は、「コーチングになんとかしてもらおう」という発想は持たない。

 

成熟した大人とは、自分のことは責任を持って自分で決め、世界を変えるために自分を成長させながら働きかけていくという人だ。

私がクライアントに望むのは、そういう境地であり、自らもそうあろうと決めている。

そういう人は「コーチングを受けたらどうなりますか」という発想は持たない。

「コーチングを受けて、自分はこうなろう」と発想するはずだ。

 

とはいうものの、いきなりそのような境地に達するのは、なかなか難しいだろう。

いままで数多くのドリームキラー達に囲まれ、自己評価を下げられてきた人であればなおさらだ。

私はそういった人の気持ちがすごくわかる。

なぜなら、私自身がまさにそういう人間だったと自覚しているからだ。

なぜ私が立ち直り、コーチになるにいたったのか。

それは、私の横にコーチがいて、私が過去に蓄積してきたブリーフをひっくり返してくれるような関わり方をしてくれたからだ。

ある時は辛抱強く、ある時は一瞬で、言語、非言語の両側からそれは行われた。

自分の足で立つことを心から信じ、接し続けてくれた。

 

だから、コーチとしての私の仕事はとてもシンプルで、相手が自分の足で立てる人であると信じることだ。

それを前提として、冒頭の質問を読み替えてほしい。

「そういう疑問を持たない人間になりますよ」ということは、「あなたは自分で自分のことを決められる人間になりますよ」ということだ。

「野菜、その後」

少し前に、実家から大量の野菜が送られてきた話を書いた。

やっと終わりが見えてきた感じだ。

たまねぎ一つ、ジャガイモ二つ、サツマイモ三つと、白菜が四分の一くらい残っている。

あとは、柚子のはちみつ漬けも三分の一くらいか。

野菜の値段は結構バカにならないのでありがたいのだが、とにかく量が多くて、大変だった。

仕事が忙しく、なかなか人に会うタイミングがなかったので、あげるという選択もできなかった。

とりあえず、今日は白菜と決着をつけようと思っている。

 

『やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中』

私の体感では、やりたいことが見つからなくて困っている人というのはけっこう多いように思う。

一方で、やりたいことがありすぎて困る、という人もいる。

どうしてそういうことになってしまうのかという問題意識で書いた記事だ。

ありすぎるやりたいことは、「ほんとうに」あなたのやりたいことなのか、という視点を提示している。

 

やりたいことがありすぎて困っている人の頭の中

 

ちなみに、検討した上で、ありすぎるやりたいことはすべて「ほんとうに」やりたいことでしたという場合はどうすればいいのか。

先日の記事「仕事の能率」や、「何に対しても焦りやすい、パニックになりがちな人が持つべきプリンシプル」を参考にしてもらいたい。

「資料作成」

明日は、岐阜で講演会がある。

かねてから懇意にしているお医者によんでもらった。

そのための資料作成がいよいよ大詰めになっている。

といっても、もうほとんど仕上がっていて、あとは最終調整を少しするくらいのものだ。

 

50分という比較的短い持ち時間であり、相手が一般の方なので、さほど高度なことは話さない。

それゆえ、資料もA4一枚に収まった。

 

サイズはどうあれ、資料に落とし込む能力は、以前よりも格段に高まったと感じる。

質はもちろんだか、かける時間の違いが顕著だ。

もちろん、時間が短縮されたということだ。

でも、まだまだ改善できると思う。

「コーチングを受けて何が変わったのか」

コーチングを受けて何が変わったのか、について書いてみよう。

もちろんこれは、私のことだ。

おそらく、すべて書くときりがないので、いま思いつくものをいくつか書くことにする。

 

・やりたいことだけをやる毎日になった

これは間違いなくそうだと言える。

これは、物理的制約がなくなって自由な時間が増えたという意味ではない。

私はそもそもが、時間的拘束の少ない生活をしていたので、自由な時間はたくさんあった。

しかし、自由になる時間が多いということと、やりたいことができているというのは全く別の話なのだ。

なぜかとえいえば、やりたいことができないというのは、マインドの問題であり、時間的拘束の問題ではないからだ。

つまり、マインドがやりたいことだけをやるような状態になれば、どのような状況であれそうなるということだ。

コーチングの技術でそれが可能になる。

 

・生産性が上がり、収入が上がった

これは先ほどあげたことから、ある程度妥当な結果として導き出されるだろう。

なぜなら、やりたいことをやっているのだから生産性が上がるに決まっているし、それが金銭と結びつけば、収入が上がるのも不思議ではない。

 

・頭が良くなった

以前から知的労働に従事していて、いかに頭をよくするかに心を砕いていた。

コーチングを受け、自分でも実践したことで、以前の自分よりもはるかにレベルアップできたという手応えがある。

コーチングの理論によれば、やりたいことをやっているときが、最も脳が活性化するからだ。

その状態を繰り返せば、頭がよくなるのが普通だ。

 

・感情的に安定した

これも劇的な変化があった。

もともと感情を強く表に出すようなタイプではなかったが、内面ではいろいろと感情の激しい動きがあったように思う。

しかし、これもまたコーチングを受け、実践することで、安定していった。

もちろん、感情がなくなったわけではない。

感情に振り回されることがなくなったということだ。

だからこそ、生産性も上がるし、だからこそ収入にも関係してくるというように、良いサイクルができていった。

 

他にもいろいろとあるが、このくらいにしておこう。

特筆すべきは、これらの変化が私に特有のことではないということだ。

つまり、正しくコーチングが機能すれば、誰にでも生じるということだ。

理由は簡単で、私が受け、実践し、そして今は提供しているコーチングが科学的根拠に基づいているからだ。

科学の要件は再現性があることである。

誰でもそのとおりになる、ということだ。

 

参考になれば嬉しい。

『私は、だれの真似もしない』

前刀禎明『僕は、だれの真似もしない』を読んだ。

前アップル日本法人代表の人だ。

30分くらいで読んだ。

いわゆるビジネス哲学の本だ。

・常識を疑う

・人と違うことをやる

・体感を大切にする

などといった、固定的、常識的なものに囚われないということを一貫して勧めている。

こういう意見が、本質を言い表したものとして受け入れられるということは、現場がどれだけ硬直的、固定的なものなのかがわかる。

私は勤めた経験がないので想像するしかないのだが、企業というものはとりわけそうなのだろう。

スティーブ・ジョブズとのエピソードが楽しく読めた。

『クリエイティブ(創造的)な仕事をしたい人が知っておくべきこと』

私の別ブログの記事の紹介。

「クリエイティブ」と目される職業に従事している人と、多く関わった時期がある。

そういう人たちは、自分のことをクリエイティブであると自認しているのだが、どうしてもそうは思えないことが多々あった。

そのころの違和感を解消するために、コーチングの理論に基づいて、

・クリエイティブとは何か

・どうすればクリエイティブであると言えるのか

・何がクリエイティブではないのか

などについて論証してみようと意図した記事だ。

なお、私のブログの中では、この記事が一番読まれているようだ。

クリエイティブ(創造的)な仕事をしたい人が知っておくべきこと