「コーポレートコーチング(上)」

苫米地英人『コーポレートコーチング(上)』を読み返してみた。

先日、Cognitive Corporate Coaching Program(CCCP)を受講した上で、読み返してみると、実にいろいろな発見があった。

まず当然のこととして、以前よりも内容が頭に入ってくる感覚がある。

これは、練り上げられたプログラムを受講したことで、コーポレートコーチングの大きなゲシュタルトが体感できたからだろう。

また、最近は組織単位で動くことも多くなってきているので、実感できる実例を自分の中にたくさん積み上げていっているのもあるだろう。

いずれにせよ、自分が成長を遂げているということなので、嬉しいものだ。

続けて『コーポレートコーチング(下)』も読み返したい。

「だから言ったじゃん」

私が最も嫌いな発言のひとつに「だから言ったじゃん」というものがある。

他人から言われるのも好きではないし、自分は絶対に言わないように気をつけている。

 

Aに対して「こうするべきだ」とBが言った。

そのときAは、うまくそれを受け入れることができなかった。

時間が経ち、Aはそのことが腑に落ち、受け入れたとする(あるいは、相変わらず受け入れられないままで、それが何かの失敗につながってしまうようなこともある)。

その場合には、かつてBに言われたことすら忘れているかもしれない。

そんなAを見て、Bは「だから言ったじゃん」「前から私はそう主張している」「ほら言った通りになったじゃないか」と言う。

こういうケースだ。

 

なぜ嫌いなのかを分析してみると、生産性がないからだ。

唯一あるとしたら、発言者の我が満たされるということだけだろう。

本来、言った通りのことを受け入れたとしたら、Aの成長でありそれは喜ぶべきことだ。

また、言った通りのことが受け入れられなくて失敗につながったとしても、それをきっかけによりよいAになるチャンスと捉えることもできる。

そのいずれの方向へも行かないのが、Bの「ほら言ったじゃん」なのだ。

示されるのは、Aに対するBの正当性、優位性のみであり、Aは洞察の鈍い自らを恥じ、自己評価を下げる方向へと進むしかない。

 

書いていて、この発言の気に入らなさは、本音と建前の乖離にあるのかもしれないと気が付いた。

Bが「こうすればいい」と言うのは、通常「相手のために」というスタンスを取る。

この時点では、「こんなことを理解している自分はすごいのだと示したいから言う」というスタンスはとらないだろう。

もし「相手のために」というスタンスが真ならば、時間がかかってもAが築いてくれれば喜ぶべきことだ。

しかし、実際には「ほら言ったじゃん」と言う。

これは「相手のために」というスタンスが偽のものだったということだろう。

また、「相手のために」というスタンスが真ならば、Aがなかなか受け入れられず失敗をしたときこそ、上手に「こうすればいい」を伝えるチャンスなはずだ。

にもかかわらず、「ほらいう通りにしないからだ」と言う。

ということは、やはり「相手のために」というスタンスが偽のものだったということだ。

このように、建前としては「相手のために」を取りながらも、局面が変化すれば「自分の正当性、優位性を主張する」本音が出るという構造がある。

このことに対して憤りを感じるのかもしれない。

 

自分がそのようにならないよう気をつけている。

そのためには、わざわざ人に自分の正当性、優位性を主張する必要がない状態になっていればよい。

すなわち、自分で自分の圧倒的価値を認められるようになっておけばよいということだ。

「概念 / concept」

概念の定義を理解すること自体は、さほど難しいことではない。

ところが、概念を自在に使いこなそうと思うと、これがなかなか難しく、時間がかかるものだ。

 

包丁があるとする。

包丁が何であるかを理解することは簡単だろう。

食材を切るためのものだ。

しかし、包丁を自由自在に使いこなせるようになるには、それなりの時間を要する。

数ある食材に対し、それぞれベストの力加減、角度、スピードなどを同時並列的に処理できるように長けていく必要がある。

それなりに時間がかかるだろう。

概念を自在に使いこなせるようになることは、このことに似ている。

 

先日、Cognitive Corporate Coaching Program(CCCP)を受講した。

私が主戦場としてきたパーソナル・コーチングは、一人に対して施すものだが、このプログラムでは人が集まった組織そのものにコーチングを施すものだ。

必然的に、新しい概念が登場する。

それらの定義を理解することは問題ないのだが、やはりその運用にぎこちなさを感じる。

慣れるための方法は単純で、失敗を恐れず積極的に使ってみることだ。

 

指を切ることを恐れて包丁を握らないようでは、いつまで経っても上達しない。

「a long sleep」

今日はとても長い時間眠った。

 

火曜、水曜と、それまでの激動のスケジュールの影響で、うまく頭が働かない状態だった。

ようやく木曜(本日)になって、少し回復したかな、という兆しを感じる。

かなり濃い予定が2〜3週間続くと、このような状態になるというデータがとれた。

以前はもう少し、短い時間で生じてきた気がするから、脳がレベルアップしているとも言える。

いずれにせよ、高い抽象度で一ヶ月くらいの予定を俯瞰し、脳の休息をあらかじめ予定に組み込んでおくべきだろう。

 

この状態を「脳の疲労」と呼ぶのはあまりしっくりとこない。

それよりも、「新しい情報をたくさん吸収し、もともとのゲシュタルトが一時的に壊れ、進化した形で再統合しようとしている期間」であると捉えたい。

そして、こういう時間自体もなくなっていくのだというセルフイメージを作り込んでいこうと思う。

「言語と影響」

多くの人に影響を与えたいと思っている。

もちろん、良い影響だ。

歴史を振り返ってみると、多くの人にかつ永続的に影響を与える事例には、言語が深く関わっている。

実際、各宗教には言語によって書かれた経典がある。

もちろん、言語とは、影響を与えるための触媒にすぎないのだが、有用性が極めて高いのだ。

保存、移動、審議可能な点などが、その理由だろう。

 

昔から言語表現が好きで、それは非言語を上手に扱うコーチになった今も変わらない。

非言語だけでは、影響力に限界があると感じている。

「コンサルタントとコーチング」

細谷功『地頭力を鍛える』を読んでよかった点は、コンサルタントとコーチングの違いが明瞭になってきたことだ。

普段指導する際に「コンサルタントとコーチングは別のものですよ」と言うことがある。

にも関わらず、コンサルタントとは何をやっているかをきちんと理解できていなかったことに気づいた。

もちろんごく一部だけなのだろうが、以前よりは理解ができた気がする。

翻ってそれは、コーチングを深く理解することにもつながる。

コーチングの肝は、やはり、意図的に「現状の外側のゴール」を設定している点であろう。

「未来まで含めた現状と構造的な矛盾を引き起こすゴール」と言ってもいい。

比較対象が明確なものになることで、その点の重要性がさらに理解できた。

「気」

気やエネルギーが見えるのかと言われれば、見えるという答えになる。

私の場合は、視覚的にヴィジュアライズされて見えるというよりも、質感や抽象的な形として感じられるといったほうがいいかもしれない(視覚的に見えている感覚もあるにはある)。

また、内部表現の書き換えができるのかと聞かれると、職業なのでこれもできるという答えになる。

もっとも、多くの人がイメージしている「内部表現の書き換え」にはいささか解釈の偏りがあるようで、それは全体の一部に過ぎないと思っている。

いずれにせよ、そういった少しばかり超常めいた能力にを有しているのかという質問に対する答えはYESだが、あまり自分からそれをアピールすることはない。

理由はいろいろとあるのだが、ここでは書くまい。

また気が向いたら書くかもしれないが。

「タスク」

タスクをのひとつひとつを、上の抽象度からまとめなおし、ひとつのゲシュタルトとしてかたまりを作る。

そして、それを実際に動かしながらアップデートし、問題がなければ無意識に入れてしまう。

あとは時々取り出して、よりよいゲシュタルトのあり方はないかチェックし、必要があればアップデートする。

こういうゲシュタルトを大小たくさん持っておくこと、あるいはこういう作業そのものに長けておくことで、仕事の能率を本質的に高めていくことができると考えられる。