「野菜の作る全体」

少し前のことになるが、実家から宅配便が届いた。

荷物としてはいびつなほどに横長のダンボールの中には、ぎっしりと食材が詰まっていた。

白菜、キャベツ、小松菜、長ネギ、ほうれん草、大根、じゃがいも、さつまいも、たまねぎ、ゆず、えごま油などなど。

なぜかそれらにまぎれて、黒光りする「ブラックサンダー」のお徳用パックが一袋入っていた。

「ブラックサンダー」はいいとしても、この大量の食材をどうしたものかとしばらく考えた。

考えたところで結論は目に見えている。

料理をして、食べるだけだ。

それも何日もかけて。

それから数日が経ち、いろいろな料理を作った。

今日はベーコンとクリームシチューのもとを買ってきたので、白菜と玉ねぎを一緒に煮てみようと思っている。

コーチングの概念にゲシュタルト(gestalt)というものがある。

「部分と全体が双方向的に関わり合いながら織りなすひとまとまり」のことだ。

コーチングの文脈の中では、「クライアントのゴールの世界をクライアントのひとまとまりの認識世界(=ゲシュタルト)として作り上げる」といった形で使われる。

ゲシュタルトという概念は、何もコーチングの中においてのみ有用なわけではない。

たとえば、さきほど話題に挙げた料理。

ひとつの料理も、ひとつのゲシュタルトと考えることができる。

クリームシチューというゲシュタルトの中には、白菜があり、ベーコンがあり、玉ねぎがある。

調味料や水が入っている。

クリームシチューという料理の成立過程まで含めれば、食材を切る、湯を沸かす、調味料を入れる、煮るなど各タスクも入っている。

白い色、柔らかい質感、とろけるような匂い、あたたかい口当たりといった「情報」も入っているとも考えられる。

全部あわせてひとつのゲシュタルトだし、マトリョーシカのようにゲシュタルトの中にゲシュタルトが入っている。

そう考えると、私たちはゲシュタルトに取り囲まれ、ゲシュタルトの中に生きていることがわかる。

実は、私たち自身の存在そのものもゲシュタルトだ。

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