「replacement picture、英語のある風景」

しばらくの間、英語の勉強がおろそかになっていた。

今年の7月、世界的なコーチであるマーク・シューベルトに会うために、ロサンゼルスを訪問した。

訪問を決めた直後から、一生懸命英語を勉強した。

少しだけ話せるようになった。

実際に訪問してみるとなかなかうまくいかないことの連続だったが、それでも勉強しておいてよかったと思うことの方が遥かに多かった。

帰国したのち、英語をもっと上達するべき置き換えの映像が、私の中に用意されなかった。

 

現在、私の中に、英語のある風景としての置き換えの映像が見えてきつつある。

 

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levels of abstraction

コーヒー・ミルとドリッパー

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そして、コーチング

 

そこには必ず英語が必要な気がしていて、以前にも増して「英語を上達したいな」という気分が湧いてきている。

「スコトーマとエモーション」

スコトーマの中にある情報は、ゴールにとって重要なものであることが多々ある。

ところが、スコトーマの中にあるわけだから、見えない。

じゃあスコトーマの中にあることは知ってるのだから、見ればいいじゃないかと思うかもしれないが、それが難しい。

なぜなら、その情報を見ることが「痛い」からスコトーマに入れてしまっているとが多いからだ。

情報にネガティヴなエモーションがへばりついている。

情報が見えないのではなく、「見たくない」ということだ。

 

「ミーティング」

ミーティングを行った。

何を言うかよりも、何を言わないかの方が大切である。

コーチングの場面では、常々そのように感じる

それはミーティングの場でも同じであり、なんでもかんでも言えばスムーズかと言えばそんなことはないようだ。

ただし、情報の共有という意味においては、この限りではない。

情報の共有においては、できるだけ明示的に、わかりやすく、シンプルな方が好ましい。

私たちは情報の共有と、もっと包括的な人間的なコミュニケーションを行ったり来たりしているので、そのへんの加減は難しくもあり、面白いものだ。

「毛布」

先月引越しをしたので、それに伴い、部屋の様々なものを買い換えていっている。

寝具もそうで、前に使っていた布団は処分し、新しいものを揃えた。

引っ越してすぐに、無印良品で、敷布団の上かにもう一枚敷くための薄手の敷布団を買った。

手触りが大変よく、色はシックなダークネイビーだ。

毛布も同種のものが発売されるようだったが、敷布団を購入した時点ではまだだった。

この文章を書いている前日、発売した毛布を購入することができた。

そして本日が、上下から手触りのよい布団に挟まれて目覚めた、最初の朝となった。

「ノマドライフ」

本田直之・著『ノマドライフ』を読んだ。

私の仕事のスタイルは、どこか定位置があるわけではないので、ノマドライフ自体は実践していると言える。

しかし、この本を通してノマドライフというものを改めて概括してみると、改めてもっと工夫の余地があるような気がしてきた。

まだまだ自分に制限をかけているところも多いな、という発見でもある。

本を読みながら、自分のリアルな話と直結しながら理解してく読み方がとても好きだ。

とくにこのようなビジネス書に関しては、その傾向は顕著になる。

この著者の本はいままで読んだことがなかったので、他にも読んでみたいと思った。

「タルムード」

昔から、タルムードのコンセプトに惹かれている。

古くに書かれたテクストに対して、外側に注釈が付け加えられ、そのまた外側に注釈が付け加えられる。

まるで「うず」のように、テクストが同心円状に広がっていく。

「思考」をなんとか平面上に言語で落し込むとどうしてもそうなる、という感じがする。

このブログで書く記事の一つ一つが、そういった連なり方を作り出してくれればいいと思っている。

ワードプレスにはたくさんのテーマがあるが、そのような目的に適ったものはあるのだろうか。

しばらく楽しみながら探してみようと思っている。

「自分の価値」

先日、人から少し戸惑うような扱われ方をされた。

その時に感じたのは「この扱われ方は、現在の自分の信じる自分の価値に見合わないな」ということだった。

自分の価値への確信が先にあり、それに見合わない扱われ方をしたから戸惑ったのだろう。

ありがたい、と感じた。

自分の価値を確認できた上、そういった扱われ方は自分にはふさわしくないので選択しないようにしよう、と決めることができたからだ。

みなさんは、自分の価値と扱われ方について、考えたことはあるだろうか。