広島県神石郡にある、神石町相戸というところにいる。
母親の生家だ。
普段はもうここには誰もいないのだが、広島市内にいる私の両親が、週末に訪れ、野菜を作ったり、家をメンテナンスしたりしている。
私が実家に帰ったときにタイミングがあえば、一緒に訪れる。
広島の実家からは車で約2時間半かかる。
途中、三次町で下車した。
そこに有名な豆腐屋さんがあり、そこでは食事も出しているので、昼ごはんを食べることにした。
厚揚げ、冷奴、豆乳、湯葉のてんぷら、油揚げ、大豆の入ったひじき、豆腐がたっぷりの豚汁に五穀米という内容だった。
食事をすませ、神石町相戸までの道のりは一時間といったところだ。
私が小さい頃の話になった。
私は広島市の牛田というところに住んでいた。
当時住んでいたのは一軒家で、となりにはアパートがあった記憶がある。
アパートに住む大学生くらいの青年の部屋に、小学校低学年の私と、幼稚園の弟はよく遊びに行っていた。
青年の彼女も相手をしてもらうこともあった。
青年がアパートを出るとき、ファミコンのソフトだかなんだかをくれた。
もちろん彼が今どうしているかなんてわからないし、名前も顔も覚えていない。
実は、そのアパートが建つ前には、ボロい一軒家が建っていたそうだ。
私はそのことをまったく覚えていなかった。
そしてそこには、かなり「おかしな」男が住んでいたそうだ。
私と弟が騒いでいると、窓を大きな音をたてながら威嚇したり、近くの川に向かって大声をあげていたり、そうかと思えば、坊主が着るような「袈裟」を身につけてどこかに出かけていくこともあったそうだ。
あげくの果てに、職場からの連絡先として、私の家の電話番号を電話帳で調べ、勝手に申告していたそうだ。
職場はとある寺だったそうなのだが、そこから我が家に電話がかかってきたことで、その事実が発覚した。
親切な母は取り次いであげたそうだが、今の時代であればあり得ないことかもしれない。
怖い話だ。
やがて男はどこかに行ってしまい、ボロい建物は取り壊され、アパートが建つこととなった。
驚くべきことに、これら一切のエピソードを私は覚えていなかった。
これだけエキセントリックで印象的な男のことなのにだ。
小学校に入るか入らないかくらいのことだったので、無理もないのかもしれない。
また、あまりにトラウマティックな経験ゆえに、記憶を消してしまったのかもしれない。
幼少期に住んでいた家の隣の記憶は、あの優しい青年の住むアパートから始まり、そこで完結している。