フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』が好きだ。
完全に美しい物語だからだ。
美しい話であるという意味ではない。
物語が持つ、多次元的な構造として完全に美しいという意味だ。
もちろんそれは、翻訳した村上春樹の力量に依るところが大きい。
英語の原著にチャレンジしたこともある。
古風で複雑な英語表現(だそう)なので、私の英語力の範疇を大きくはみ出していると感じた。
しかし、なぜだかわからないが、それが美しい物語であるということは伝わってきた。
それは、私が「この小説は美しい物語である」と決めているからかもしれない。