なぜこのブログをはじめたのだろうか。
別の理由がまた見えてきた。
私が発信している情報は、メインブログ、フェイスブック、メルマガ、ツイッターがある。
それぞれ役割が違うが、共通しているのはコーチングの話題であるということだ。
まず最初に、「書きたい、表現したい」という欲求がある。
そもそものその対象は渾然としたものとして現れる。
その中から、コーチングの話題にうまく接続出来そうな対象を選びだし、コーチングの理論で切り出すことで、言語化をしていく。
必然的に、その条件に合わない対象は切り捨てられていくことになる。
しかし、これらは、依然として私の中に行き場を失った形で留まり続ける。
この状態が苦しいのだ。
どうしても言語にしていかなければ、頭がパンクしそうになる、そのことに気づいたのは最近だ。
コーチングの理論は非常に多くの現象を分析することができるし、多くの問題を解決するための指針を打ち出すことができる。
それゆえ、書く話題には事欠かないため、いつのまにかコーチングとは「関係させる必要のないと思える」対象が、私の中で積もり積もることとなった。
でも、そういった対象であっても私の中から出てきた、私の一部なのだ。
無視し続けることは困難なことだ。
そういったコーチングとは関係のない対象をどう切り出すかを経由することで、かえってコーチとしての私の姿を伝えることができるかもしれない、そうも思う。